内容説明
幼いころ、泰子の家でいっとき暮らしをともにした見知らぬ女と男の子。まっとうとは言い難いあの母子との日々を忘れたことはない泰子だが、ふたたび現れた二人を前に、今の「しあわせ」が否応もなく揺さぶられて―水面に広がる波紋にも似た、偶然がもたらす人生の変転を、著者ならではの筆致で丹念に描く力作長編小説。
著者等紹介
角田光代[カクタミツヨ]
1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。90年「幸福な遊戯」でデビュー。96年『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、11年『ツリーハウス』で伊藤整文学賞、12年には『かなたの子』で泉鏡花文学賞及び『紙の月』で柴田錬三郎賞を、14年『私のなかの彼女』で河合隼雄物語賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
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ミカママ
250
角田さんの叙述は、どれも私の気持ちにしっくりくるものばかり・・・って同じように考える人が多いから、人気作家さんであるんだろうなぁ、なんてことを考えながら読了。またしても「どこか普通でない、普通の暮らしができない」人たちの物語。それでいながら心を揺さぶられちゃうから、角田さんはスゴい。「はじまったら終わるってことはない」作品中、一番普通でない直子のセリフ。私の心にズドンと落ちてまいりました。かくいう私は、ものすごく普通の人で、普通の(著者が言うところの、繰り返しの)生活を送っていますが。2016/05/15
さてさて
202
『ふつう、人は…自身の現実を変えないよう、変えさせられないよう、他人の現実を変えないように、注意して生きている。でも、この母子はそうではない』という強烈なキャラクターの存在が物語を強引に牽引していくこの作品。『他人の人生に闖入』する母と子が、他人の人生の有り様を次々と変えていく様を見るこの作品。一見、どうしようもないとしか思えない人物たちの内面を垣間見るその物語の中に、『ふつう』とは何なのだろう、という疑問とともに、人の生き方の多様さと、それでも生きていける人間のたくましさをそこに見た、そんな作品でした。2021/09/06
しのぶ
136
「普通」とは何。理解は出来るが自分がそうだと共感したくない気持ちもあり難しいテーマの小説。各家庭の普通がその人の普通になるのだろうが、でもまあ「普通」とはこれだ!とわからないまでもこの人間社会の中での「普通」であり「常識」的でありたいと思うかな。2018/01/21
mura_ユル活動
132
角田さん4冊目。人間も動物でいられたら良いのに。感情もなく、誰かを思うことなく。行き当たりばったり。未来のことも過去のことも考えない。しかし、人間には理性、怒りがあった。物語はなんの事ない、少しの手順が違うだけ。断る前に家をふらっと出ていく、結婚する前に子供をつくる。歯磨きした後に歯磨き粉をつけてるだけ。自分の行動が人を不幸にするけれど大丈夫、「はじまったあとはどんなふうにしてもそこを切り抜けなきゃなんないってこと、そしてね、どんなふうにしたって切り抜けられるものなんだよ、なんとでもなるもんなんだよ」2019/11/17
yoshida
127
デラシネの母と子。直子と智は受け入れてくれる人のもとを転々とする。所謂「普通」の生活の感覚がない。彼等が人生に現れ変わる人々。母のいる家庭を失った泰子。結果として泰子も壮絶な人生を送る。落ち着きかけた泰子の前に再び智が現れ、泰子の人生が大きく動く。実際には特異な人物の直子。彼女の記憶を手繰ると、天涯孤独となった彼女が見つけた生きる術の面もある。彼女の安定を得ても捨てる衝動は20代前半の私なら、少しだけ分かったと思う。人生で冒険をしたかった頃。ただ、それは一生ではない。特異さに僅かに共感するリアルさがある。2019/12/24