内容説明
援軍や補給が遅れ、玉砕に追い込まれた兵士たち。彼らはなぜこのような戦いを強いられたのか。屯田兵を母体とし、日露戦争から太平洋戦争まで、精鋭ゆえに常に激戦地へ派兵されてきた旭川第七師団の歴史に焦点をあて、参謀本部の戦略の欠如を明らかにする。
目次
“軍都”旭川を訪ねて
旭川帰還が一転、ガダルカナル島へ―一木支隊壊滅
対米戦に反対した旭川出身の“空の軍神”加藤建夫
旭川“北京”構想から生まれた第七師団
二〇三高地を駆け登った第七師団兵士
旭川第七師団ゆかりの文学者たち
ある屯田兵家族の物語
シベリア出兵と第七師団
尼港事件と北樺太保障占領
海軍航空隊黎明期の至宝、赤石久吉の人生〔ほか〕
著者等紹介
保阪正康[ホサカマサヤス]
1939年12月、札幌市生まれ。同志社大学文学部社会学科卒業。評論家、ノンフィクション作家。出版社勤務を経て著述活動に入る。主に近代史(特に昭和史)の事件、事象、人物に題材を求め、延べ四千人の人々に聞き書きを行い、ノンフィクション、評論、評伝などの作品のほか、社会的観点からの医学、医療に関する作品を発表している。現在、個人誌『昭和史講座』を主宰。2004年、菊池寛賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nnpusnsn1945
48
ゴールデンカムイに登場する「北鎮部隊」こと第7師団の歴史を描いた一冊。著者の感情が強くあまり冷静な文体ではないが、秀才参謀らの場当たり的な作戦によってガダルカナル、アッツ島、占守島、樺太といった激戦地へ投入されて戦死した将兵が多いからそうなるのだろう。沖縄では多くの将兵が戦死しているが、アイヌも含めた北海道の兵士は住民と関係が良好であったらしい。遺骨のある沖縄の土砂を使って基地の埋め立てをやりかけて問題になっているが、住民だけでなく北海道や本土の将兵も眠っていることを忘れてはならない。2021/03/29
まると
24
北方防衛のため組織された第七師団は、ロシア戦が想定されない間は南方などで便利に使われてきたと著者は持論を述べている。そして、大量の犠牲者を出した原因を大本営の場当たり的な作戦に求め、その無責任ぶりに激しく憤る。確かに彼らはノモンハン、ガダルカナル、アッツなど戦う意味を見いだし難い地で絶望的な戦いを強いられた。その悲惨さを後世に残そうとする著者の思いが伝わってくる。戦争は当事者に直接聞くことが大事。先日旭川の北鎮記念館を見てきたので復習のつもりだったが、初めて知ることが多く自分の認識の甘さを思い知らされた。2022/08/15
BLACK無糖好き
7
屯田兵を母体とした旭川連隊を中軸とする第七師団に焦点を当て、各激戦地での奮戦模様を振り返る。この連隊は大本営作戦部の作戦参謀たちにあまりにも都合よく利用された節があると、著者は怒りを込めて指摘している。丹念な取材を通して「事実」の背景に潜む「真実」に迫ろうとする著者の姿勢に惹きつけられます。著者は幾つかの戦友会の会合も取材している。"同じ戦友会といっても激戦地で仲間を多く喪った部隊の戦友会とほとんど戦闘を体験していない戦友会とでは、その会合の空気が異なっていた"(p130)。ここしびれます。2015/06/26
くらーく
5
旭川は軍都なのだよねえ。小中学校で教えてくれても良いのにね。全く知らないで上京して、今頃になって第七師団の事を知ったよ。悲惨だねえ。この方々がいて命をささげてくださったお陰で、道民として育ち学び、子供が授かったのだねえ。ありがたいことだなあ。 負け戦に不思議な負けは無い訳だけど、昭和の陸軍の愚かさは、いろんな本を読んで知っていますけど、改めて。。。組織では仕方が無い事ですが、判断を下し、行動を促す人には、まともな人につき、そうでない人は排除できる世の中であって欲しい。特に命を預かる組織ではね。2018/12/22
CTC
5
シリーズ第五弾は保阪さんが故郷、北海道の旭川第七師団を語る。私も地元の連隊がどのような軌跡を辿ったか確認した事があるのだが、遼陽会戦から、青島、支那事変では上海から南京、そして香港、ガ島、サイパンと…。まさに歴戦、護国神社に7万6千柱も祀られているのに驚いた。しかしこれは全国何処の部隊を調べても同じようなもののはずで、それは保阪さんの「大本営の無謀な作戦で逝ったすべての兵士に捧げる」と云う巻頭言でも語られていると云ってよいだろう。しかし北鎮部隊と云われた北国の兵を、ガ島や沖縄ですり潰しているのは象徴的。2015/04/29
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