内容説明
九十三歳で死去するまで、現役の指揮者としてタクトを振りつづけた巨匠・朝比奈隆。自ら「長生きこそ、最高の芸術」と言い切り、存在そのものが日本のオーケストラ史であった生涯。その光と陰を描く決定版評伝。第二六回織田作之助賞大賞受賞作。
目次
プロローグ 最後の演奏会
第1の試練 隠された出自(もらいっ子;知らぬは自分だけ ほか)
第2の試験 上海の栄光と満州引き揚げ(新交響楽団での挫折;上海交響楽団へ ほか)
第3の試練 NHK大阪中央放送局との確執(局長の苦言;BK楽員は関響に出演させない ほか)
第4の試練 指揮とは何か(指揮の奥義;大フィル・サウンド ほか)
著者等紹介
中丸美繪[ナカマルヨシエ]
慶應義塾大学文学部卒業後、五年間の会社勤務をへて、執筆活動をはじめる。97年初めての著書『嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯』(新潮社)で第四五回日本エッセイスト・クラブ賞、第九回ミュージック・ペンクラブ賞を受賞。また、2009年『オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練』で、第二六回織田作之助賞大賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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遥かなる想い
100
93歳まで現役の指揮者として 大阪フィルを 率いた朝比奈隆の評伝である。 出生から 成長の日々を丹念に描く。 残念ながら、音楽の素養がないため その偉大さはよくわからなかったが、 オーケストラへの想いは凄まじい。 スターを持つ組織の難しさも、垣間見られる 評伝だった。2022/08/08
chanvesa
30
朝比奈さんの豪快なイメージ通りのエピソードやそれを覆すような、策士的な側面も。朝比奈さんの指揮を初めて聴いたのは、1994年に東響の定期で、それから東京での演奏会はほとんど聴きに行った。でも1997年以降舞台上の姿はしんどそうに見えるような気がした。第四の試練で朝比奈さん晩年の病のことが書かれているが、やはりショックだった。第一の試練の出自のことも初めて知った。そして魅力的な人間性であったからこそオケを半世紀引っ張り続けられたのと同時に、それは後継者に無頓着・無責任だったことと裏腹なのかもしれない。2016/04/24
巨峰
3
朝比奈隆と大阪フィル。小さい頃からTVなんかで親しんできた大阪の文化の象徴だった。今は、大阪に住む指揮者なんていない。常任指揮者もみな東京からの出張だったりする。2012/05/21
牧神の午後
1
オッサンとシカゴのブル9,最終日の演奏は忘れ得ぬ名演として深く深く刻み込まれている。まさに神様が降りてきた演奏。ただ、その演奏を紡ぐために彼はどれだけの修練を重ねてきたのか。大フィルの定期会員だったこともあったが、彼はたしかにオケを食わせてきたが、オーケストラビルダーの責務は果たせていなかったし、何よりも本書でも指摘されているように後継者は育てられなかった。本書に書かれているドロドロも一部で、深い傷を負った関係者も多いだろう。それでもシンフォニー、フェスで、サントリーで聴いた数々の演奏は私の生涯の宝物だ2014/01/05
スリカータ
1
この本を読むと朝比奈さん指揮の大阪フィルのCDを聴いてみたくなります。偉大なるアマチュアと言われた朝比奈さんは、師であるメッテル氏の言葉を執念で守り、長寿で生涯現役を貫いた人。最後の後ろ姿の写真を見たら、涙が出た。2013/12/13