内容説明
作家・五味康祐のもう一つの顔は、音楽とオーディオの求道者であった。FMのライブ放送のエアチェックに執念を燃やし、辛口の演奏家評を展開するなど、生涯にわたって情熱を傾けた音楽。癌に冒された最晩年の連載「一刀斎オーディオを語る」を軸に編んだ、究極の音楽エッセイ集。
目次
一刀斎オーディオを語る(血の気の多い演奏者;ルクセンブルクで聴いたフォーレ;パリで会ったオーディオマニア;日本にいても世界が見られる;いい音には贅沢が必要 ほか)
音楽の教え(音痴のためのレコード鑑賞法;音楽の教え;日本に一流ピアニストは育たない;感興を伝ええぬ聴衆の不幸;一枚のレコード ほか)
著者等紹介
五味康祐[ゴミヤススケ]
1921年大阪・難波生まれ。42年早稲田第二高等学院中退、翌年明治大学文芸科に入学後、応召。復員後は亀井勝一郎を頼って上京し、出版社の社外校正などで生計を立てる。53年「喪神」で第二八回芥川賞受賞。以後、剣豪作家として、『柳生連也斎』『柳生武芸帳』等を発表。『五味康祐代表作集』(全一〇巻)がある。プロ野球、麻雀、手相にも多才を誇り、なかでも、オーディオ、音楽への造詣は深く、『西方の音』『天の聲』などのすぐれた音楽評論も残した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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蘭奢待
29
未読と勘違いして再読。ピュアオーディオを如何に良く鳴らすか。FMエアチェックがヤングの間で大流行り。お陰でレコードの売り上げが落ちているとのこと。隔世の感がある。 曰く日本人にはクラシック音楽の演奏はできない。日本製のピアノでは音感が鈍るなど、並み居るプロ演奏家や、世界的メーカーをこき下ろすが、小気味良さよりも、鼻につく。 それはオーディオや、FMのあり方、音楽の聴き方なども同様で価値観を押し付けるかのような表現に辟易気味。氏の時代小説は好きで、かなり前に何冊か読んだが、エッセイはイマイチ。2019/02/02
さきん
26
FMから録音して音楽を楽しむ。今で言うなら、youtubeで勝手に聞いちゃう感じ。機械に高音質、生演奏ならでは迫力を求めるのは、クラシック音楽文化貧困な日本ならではという説明はなるほどと思った。娘にはとにかく優しい。2018/06/01
蘭奢待
8
剣豪時代小説の大家がオーディオマニアであった。氏の時代小説は何作か読んだが、剣豪小説と同様、切れ味するどい論評で音楽家やオーディオメーカを斬る。CDはおろか、音楽用カセットテープが世に出る前の時代のエッセイであるため、さすがに隔世の感がある。レコードの外側と内側で音質が異なるという話しには感心。レコードよりもテープの音が良く、そのテープに録音する音源はFM。自分もFMをデジタルでエアチェックしているため共感。2018/07/22
FK
6
頻繁に出てくる話題にFM放送のエアチェックがある。私にも思い出がある。二十歳前後、1970年前後のこと。放送予定の書かれた雑誌を購入し、いわゆるエアチェックをしたものだ。/いわゆるクラシック音楽は、こう言っていいなら人類の集積し、いまや誰もが所有権をもつ大きな一つの宝庫である。退屈するのは、せっかく宝の山に入っても、そこに在るのが宝石なのに気づかない人で、惜しいはなしだ。(P.190)【残念ながら気付かない人が大半だ。それは書籍の世界でも同様なので、致し方ないことか。だから良き道案内人が必要なのだ。】2019/01/09
qoop
3
筆鋒鋭くバッサバッサと批判対象を斬っていく爽快さ。数多の評論家とは大違いだ。批判が批評足り得ているかは何ともいえないが、現在こそ、オーディオ界にはこういう人がいて欲しいものだ。〈音楽には神がいるが音には神はいない〉は、オーディオ的に名言。2011/01/06