内容説明
私はここまで来た。この山に、この身に、この心に、何が起こるかを見に来た―。浅間山頂の景観のなかに、待望のその時は近づきつつある。古代ローマの博物学者プリニウスのように、噴火で生命を失うことがあるとしても、世界の存在そのものを見極めるために火口に佇む女性火山学者。誠実に世界と向きあう人間の意識の変容を追って、新しい小説の可能性を示す名作。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
232
こんなところで終わり?というのが最初に抱いた感想。もうページ数が残り少なくなっていたから、どんな結末が待っているのだろうかとハラハラしていたのだが。裏切られたというよりは一瞬呆然としたといった感覚だ。そして、あらためて全篇を振り返ってみると、やっぱりこれでよかったのだと思えてくる。内容的には、言葉が紡ぐ世界でありながらも、言葉の不確かさが問われ続ける、そんな小説世界だ。地質学者の主人公、頼子の不確かさが見事に小説世界を形作る。それはまた、読者自身の信じていたはずのアイデンティティをも揺さぶるのだ。2015/05/16
s-kozy
97
人間は言葉を操る動物だ。言葉で世界を捉え世界を認識する。言葉で自分の気持ちを伝え、他者の気持ちを理解する。しかし、人間は全てを理解することができているのか?答えは否?火山の噴火に象徴されるように大いなる自然の力の前には人間の叡智など所詮、ちっぽけな物。現代科学の最先端にいる火山の研究者よりも自らの被災経験を素直に言語化した江戸時代の女性の方がその恐怖や噴火前後に経緯を正確に表現することができる。では、我々はどうすればいいのか?言葉に限界はあるにせよ、謙虚に世界を理解する営みは止める訳にはいかない。2014/10/21
chantal(シャンタール)
86
「火山ーシェヘラザードー満月の夜にメキシコの遺跡で書かれる手紙ー浅間山に登る」池澤さんの小説を読んでいると、火山が噴火する仕組みとかなぜ地震は起こるのかとか考えてしまう。今回の旅でも日本ではあまり見かけない地層の山を見ると「これは何万年前の地層だろう?」と柄にもなく考えたり、飛行機の窓外に見える雲の中に飛び込んだらどんな感じかな?などと想像してしまったりする。雨の日も「んだよ、雨かよ〜」と思うとイライラもするが「雲の上のバケツから溢れてるんだな。」なんて思えれば、気分も違ったりする。全てが詩的なんだよね。2021/06/20
(C17H26O4)
79
「それを知らないのは、きみだけだよ、門田君。」女性火山学者の行動の先には何かが起こったのか、起こらなかったのか。どうであれ彼女は向こう側を見、何かを得ただろうと思う。途中「天明三年浅間山大噴火の記録ーー大笹村のハツ女の体験記」という手記が長く挟まれるのだが、少し前に読んだばかりだからか、石牟礼道子『苦海浄土』の「ゆき女きき書き」を彷彿とさせた。池澤夏樹と石牟礼道子との交流のことを考えると、これを書いたとき作者になんらかの意識があったのかなあと勝手に想像した。2022/01/15
翔亀
58
プリニウスは、古代ローマの「博物誌」の人。ボンベイ遺跡が埋まった火山の噴火を観測中に命を落とした。何故危険を承知で近づいたのか。彼は何を見たのか? この作品は、舞台をヒロインの火山学者が研究する浅間山に移して、噴火に私たちは何を見るのかを問いかける。こういう題材だから当然、災害パニックものだろうと予感され、ヒロインの教授生活に遠距離恋愛(メキシコ)も交えながら、事実その方向でクライマックスに進む。ヒロインは単身で、真昼に浅間山噴火口に向かう。そこで見たものは? しかし、ここで唐突に終幕となる。えぇぇ?!2015/02/18
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