内容説明
日蓮の「立正安国論」にも記され平安・鎌倉時代にはかなり著名だったこの本が歴史に再登場するのは明治16年に東寺観智院で写本が発見されてからである。本書は慈覚大師円仁が五台山から長安に至り唐武宗の廃仏に遇って帰国するまでの苦心10年の日記4巻を現代口語体で全訳、写本原文も併載。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ひさしぶり
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苦節10年平安時代838年最澄の弟子円仁が遣唐使として博多を出港し(最澄の学んだ天台山には許可が下りず)五台山、長安を経て帰国する迄の日記。船が裂け大波に揺られて口々に観音菩薩の名を称えて助けを願う‥。蚊やぶよが非常に多く、その大きさも蠅ほどあって‥。前途多難😰 旅行許可証が下りない、師らが夢枕に立ち、普通院(無料宿舎)や一般家人に罵られつつ、🌸文殊菩薩の五台山🌸道教を盲信する武宗の会昌の廃仏😱外国僧も俗化を強制され、4つの葛籠に経典等一杯にして長安を去る。 続きはコメントに書ききれん2022/08/30
拡がる読書会@大阪
2
最澄の弟子であり、天台宗の僧侶として仏教の深遠な教えを求めて唐に渡った円仁が記した旅行記。838年から847年にかけての中国(唐)での求法(仏教の教えを求める)活動を詳細に綴っています。 遣唐使船での渡航から始まり、唐の各地での修行や学問の探求、さらには当時の政治的混乱や仏教弾圧(会昌の廃仏)など、多岐にわたる経験が詳細に記録されています。 https://note.com/sharebookworld/n/n00582c88c5f42024/12/28
午睡
2
唐代における武宗の道教盲信、その結果としての廃仏毀釈の烈しさが印象に残る。道教盲信のあまり、少年少女の生き肝を抜く残虐さなど、暴君としかいいようがない。 遣唐使として派遣された円仁だが、この代で遣唐使が廃止になったのも無理はないと思える。 巻末に円仁が唐から持ち帰った四百巻を超える経典の目録が記載されているが、その最後に五䑓山の頂上で拾った石、とあるのがなんともほほえましい。まさに旅の思い出であり、成果であった。2018/09/12
unusb
1
遣唐使として日本から中国へ派遣された圓仁さんの日記の現代語訳.今や,飛行機でアメリカ・ヨーロッパを始め異なる大陸間を移動できてしまう.しかし,数千年前は船しか移動手段は無かった.十分な情報があるわけでもない.言葉もまるで通じない場合もある.そんな中,苦労を重ねながらも唐の文化・情報を知るために尽力した人々のありのままの姿が,ひしひしと伝わってくる.便利な世の中に育った身としては,多くのことを考えさせられた一冊であった.2015/09/20
酔うた
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淡々と感情を入れず日記風に記すがゆえに、遣唐使の壮絶な行程がひしひしと伝わる。マルコポーロの東方見聞録に遡ること400年の本。最初にライシャワーがその凄さを指摘したとは、ちょっと日本人の恥か。2014/02/08