出版社内容情報
日常気づかずにいるわれわれの言語生活にはびっくりするような盲点がある。もともと日本文の重心は動詞のほうにあったが、近代の日本語は名詞に重心がおかれて何か不安定な感じを与える。それは翻訳文化の影響だといえる。「終りよければすべてよし」の構造をもつ日本語はまた読む言葉と聞く言葉が別々でもある。その理由は何か。室内語として洗練されてきた日本語が、時代とともに戸外語化して乱れてきた背景なども含めて考える。
内容説明
もともと日本語は「終りよければすべてよし」の構造で、重心は末尾の動詞にあった。だが次々と登場した名詞群に関心が移り、バランスが崩れた結果、長く培われてきたおもしろさは失われた。それは翻訳文化の影響だといえる。日本語本来の魅力を取り戻すうえで、話し言葉がもつ豊かさこそ重要なカギとなるのではあるまいか―。日常の言語生活にひそんだ盲点の数々を、英語表現と比較しつつ軽やかな筆致で示唆するエッセイ。
目次
1 ことばのすがた(訳せぬ「であろう」;段落の感覚;終りよければ;部屋のうち・そと;中間話法;気になる「あなた」)
2 ことばのこころ(五脚の椅子;後記と投書;比喩の梯子;移すということ)
3 ことばのかたち(女性的言語;政治と言葉;宗教と言葉;論争と言葉;日本語の国際化)
著者等紹介
外山滋比古[トヤマシゲヒコ]
1923年(大正12年)、愛知県に生まれる。東京文理科大学英文科卒業。同大学特別研究生修了。専門は英文学。『英語青年』編集長、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授、昭和女子大学教授などを歴任。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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