中公クラシックス<br> 意志と表象としての世界〈3〉

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中公クラシックス
意志と表象としての世界〈3〉

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  • サイズ 新書判/ページ数 308p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121600714
  • NDC分類 134.6
  • Cコード C1210

目次

人間の生は苦悩と退屈の間を往復している。苦悩の量は確定されているというのに、人間は外的原因のうちに苦悩の言い逃れを見つけようとしたがる。
われわれに与えられているものは欠乏や困窮だけで、幸福とは一時の満足にすぎない。幸福それ自体を描いた文学は存在しない。最大多数の人間の一生はあわれなほど内容空虚で、気晴しのため彼らは信仰という各種の迷信を作り出した
人間界は偶然と誤謬の国であり、個々人の生涯は苦難の歴史である。しかし神に救いを求めるのは無駄であり、地上に救いがないというこのことこそが常態である。人間はつねに自分みずからに立ち還るよりほかに仕方がない。
性行為とは生きんとする意志を個体の生死を超えて肯定することであり、ここではじめて個体は全自然の生命に所有される
意志は自分の内面においてのみ発見され、一方自分以外のすべては表象のうちにのみある。意志と表象のこの規定から人間のエゴイズムの根拠が説明できる。
正義と不正について。国家ならびに法の起源。刑法について。
マーヤーの面紗に囚われず「個体化の原理」を突き破って見ている者は、加害者と被害者との差異を超越したところに「永遠の正義」を見出す。それはヴェーダのウパニシャッドの定式となった大格言tat tvam asiならびに輪廻の神話に通じるものがある。
並外れた精神力をそなえた悪人と、巨大な国家的不正に抗して刑死する反逆者と―人間本性の二つの注目すべき特徴。
真、善、美という単なる言葉の背後に身を隠してはならないこと。善は相対概念である。他人の苦痛や不幸を見ることに限りない愉悦を覚える本来の悪、ならびに悪人についての諸考察。良心の呵責をめぐって。
徳は教えられるものではなく、学んで得られるものでもない。徳の証しはひとえに行為にのみある。通例「個体化の原理」に仕切られ、自分と他人との間には溝がある。エゴイストの場合この溝は大きく、自発的な正義はこれから解放され、さらに積極的な好意、慈善、人類愛へ向かう〔ほか〕

著者等紹介

ショーペンハウアー[ショーペンハウアー][Schopenhauer,Arthur]
1788~1860.19世紀ドイツの厭世思想家。ハンザ同盟の自由都市ダンツィヒ(現、グダニスク)に生まれる。父は裕福な商人、母は女流作家。父に伴われて幼少期からヨーロッパ諸国を旅行する。父の死後、遺志に従って商人の見習いをはじめたが、学問への情熱を断ち切れず大学に進む。1918年に主著『意志と表象としての世界』を完成、ベルリン大学講師の地位を得たが、ヘーゲル人気に抗することができず辞職。生を苦痛とみるそのペシミズムは日本でも大正期以来、熱心に読みつがれてきた

西尾幹二[ニシオカンジ]
1935年(昭和10年)東京生まれ。1958年、東京大学文学部独文科卒業。文学博士。電気通信大学名誉教授。ニーチェ、ショーペンハウアーの研究を専門とする。その主著の翻訳者でもあるが、早くから西欧との比較に基づく文化論を展開し、文芸、教育、政治をめぐる評論家としても活躍している
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

イプシロン

41
人間にとって最悪なものはエゴイズムの肥大化である。人間にとって最善は生きとしいけるものへの同情であり、また入れかえ可能性から推察される平等の直感である。第四巻において語られるこれらの内容は、すべて生きんとする意志を源泉としているといった具合にあらゆるものの源泉が意志にあることが明かされる。特に興味深かったのは、道徳的直観という倫理(意志)と法律的解釈という客観(表象)の間におこる矛盾が語られている部分であった。倫理は自己の行為によって芽生える良心の呵責からしか生まれない。法律は他者からの不正を2020/10/27

かわうそ

35
人間は飢えなどの苦痛を逃れるために生存の欲求を満たしたとしても、結局は直ちに退屈という病に苛まれるのです。人間の意欲は欠乏、苦痛、不足を源としており逆にこの3つは人間が退屈という沼に陥らないための秘策とも言えます。欠乏故に願望を抱いたは良いものの達成すれば退屈になってしまう人間の儚さ。それが人間の面白みにもなっているのでしょう。一方で、退屈になると、人間の動と反動を求める欲求が生まれてきます。それは他に働きかけるという行為を生みます。からかったりする行為はまさに動と反動を求める行為に他ならないのです。2022/12/02

加納恭史

20
やっとⅢ巻に。デカンショ節が流行ったのは大正時代だから少し薄れたかな。デカルト、カント、ショウペンハウアーのことで大学での哲学の最高の教養である。その中心はショウペンハウアーである。Ⅲ巻はいよいよ結論だな。これは本書では第四巻「意志としての世界の第二考察」である。これはハイデッガーやアーレントを軽く凌駕している。第五十七節「人間の生は苦悩と退屈の間を往復している。苦悩の量は確定されているのに、人間は外的原因のうちに苦悩の言い逃れを見つけようとしたがる」。まあ有名な苦悩の論議である。まあ心がけ次第なのだが。2023/11/20

シタン

16
理論を終えて実践哲学に入る。厳粛なフィナーレ。畳み掛けるように、ある地点へと向かってゆく。 長々と奏でてきた音楽の最後の音は、何だったのか。否、むしろ、音が鳴り終わった瞬間に訪れたものは何だったのか。 個人的には、最後に到達するある一つの思想よりも、そこに至るまでのプロセスの方がむしろ非常に魅惑的でスリリングだと思った。 著者によればこの本は二度読まないといけないらしいので、再読しましょう。いつの日か……2018/08/01

プランクマン

14
これから本書を読む人へ。 著者の別書「根拠の原理について」と、カントの著書を先に読む(理解す)べし。 他にもギリシャ神話等、有名な古典文学の知識があると、私のように毎度wikipediaに行かずに済むだろう。 あと2回読んでもらうことを前提としているとのこと。 以上は、1, 2巻目には特に記載なく、3巻目の最後に各章序文として纏められている(から気づけない人もいると思う)。根拠の原理もカントの話も全体通して随所に現れるから、理解するために読む方には蛇足とは思いつつ。(1巻の感想に書くべきか)2020/09/12

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