出版社内容情報
自己の内面に向って沈潜しつつ思索する重さ。自己の外面に向って飛翔しつつ人間の自由と独立を獲得してゆく軽さ。重厚と軽妙が見事に交錯する、古代中国の最も魅力に富む思想。
目次
荘子内篇(趙遙遊篇;斉物論篇;養生主篇;人間世篇;徳充符篇 ほか)
荘子外篇(駢拇篇;馬蹄篇;在宥篇;天地篇 ほか)
著者等紹介
荘子[ソウジ]
紀元前4、3世紀ごろ。中国、戦国時代の思想家。姓は荘、名は周。宋国の蒙(河南省商丘市)に生まれる。故郷の蒙で漆園の管理をする小役人となったときもあるが、おおむね自適の生涯を送ったといわれる
森三樹三郎[モリミキサブロウ]
1909年(明治42年)京都府生まれ。京都帝国大学文学部(支那哲学史専攻)を卒業。大阪大学教授を経て同大学名誉教授、仏教大学教授となる。1986年(昭和61年)逝去
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感想・レビュー
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rigmarole
15
印象度B+。全巻の半分ではあるものの、4年余りかけて断続的に読み進めてついに読了。平易で明解な訳文にもかかわらず、比喩や寓話に富む晦渋な書で、意味不明な部分もありました。しかし私はこの無為自然の思想に概ね同調します。例えば「物と春をなす」。「物」とは自分を取り巻く森羅万象の全て。「春」とは調和によって得られる幸福感。つまりは、自分を取り巻く世界の全てを必然的な天命と解してあるがままに受け入れ、それらに調和して心安らかに生きよ、ということでしょう。この言葉に出会った時、我が意を得たりと私は膝を打ちました。2022/07/27
roughfractus02
11
内篇・外篇・雑篇で3分冊だった中公文庫版(初版1974刊)が中公クラシックスでは上下2巻にまとめられた。本巻は内篇と外篇の途中まで収録する。読むことを重視した意図があるのか、原文はなく、読み下し文から始まるその構成は、内篇冒頭の徹底した形而上学も、一種の幻想物語(ファンタジー)として読めるほど、平易で簡潔な邦訳である。一方、読み下し文から始まるゆえか、古典教育を受けた経験からか、他の邦訳よりも芭蕉等の後世の日本文芸を連想させる一節に出会うことが多い。道や無為自然が物語に潜んでネットワークしていると感じる。2025/10/07
ふみふみ
7
斉物論萹で荘子の思想である万物斉同、絶対無差別の論理に初めて触れた時は時空を超えたSFのような世界、宇宙論、ガイア理論などのイメージが頭を過ぎりました。万物斉同の立場ではすべてのものがひとしく(そしてひとつ)全てをそのままに肯定(絶対無差別)し、生と死、現実と夢も例外ではなくひとしいとする。このような心構えが備われば少なくともメンタル最強ですが道に達するには無為自然を貫くことで人為的なものは一切否定、なので現実的なメソッドは思想の近いと思われる禅や瞑想などのそれになるのかなと思います。2019/01/14
レートー・タト
5
本書は原文がなく、読み下し文→現代語訳→註という構成になっている。どうしても内篇とそれ以降の外篇との落差を感じてしまうが、福永光司の解釈を見ると、全く関係のないものばかりというわけでもないようである。個人的には講談社学術文庫から出ている福永光司の実存主義的な解釈がなされている『荘子内篇』とともに読むのが吉だと思う。ただ福永本は解釈として色濃く面白いのだが、そこで書かれているのは読み下し文ではなく、通読するというと少々大変である。なので、森三樹三郎の現代語訳・註で通読しておいてからあたるといいと思う。2012/08/28
ぐっさん
4
言語・二元論的思考に対する不信感が全編を覆っている本。話を要約するならこんな感じ→「二元論的な思考から離れることこそ肝要」「ではその状態を「○○」と定義して論を進めましょう」「いやいや、そういう風に分節化するのがダメ」 // ヴィトゲンシュタインが語り得ぬものには沈黙し、語り得るものの論考から始めたとしたなら、荘子は単刀直入に、語り得ぬものに対して「考えるな、感じろ」している印象。工学者な私からすると、前者のアプローチの方が理に叶っている印象がするが、だからこそ読む価値のある本なのかもしれない。2016/11/06




