中公新書ラクレ<br> 大学はどこまで「公平」であるべきか―一発試験依存の罪

個数:
電子版価格
¥880
  • 電子版あり

中公新書ラクレ
大学はどこまで「公平」であるべきか―一発試験依存の罪

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年10月12日 12時15分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 新書判/ページ数 189p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784121507143
  • NDC分類 377.04
  • Cコード C1237

出版社内容情報

教育機会の平等・均等路線の先で混迷を極める入試改革。著者はその状況に「繕われた公平さに意味などない」「世界で通用する大学やエリートを生み出せるのか」と警鐘を鳴らす。進学率が5割を超えて、最早エリートのためのものではなくなった大学はこの先どんな存在であるべきか? 未だ詰め込み型の「一発入試」に頼る大学に創造性ある学生を選ぶことはできるのか? 「公平」という呪縛から逃れなければ、大学に未来はない!

内容説明

教育機会の平等・均等路線の元で混迷を極める大学入試改革。その状況を著者は「繕われた公平さに意味などない」「それで世界に通用する大学になれるのか」と喝破する。進学率が5割を超え、一握りのエリートを養成する機関ではなくなった大学はこの先どうあるべきか?未だ詰め込み型の「一発試験」に頼る大学に創造性ある学生を選ぶことはできるのか?「公平」という呪縛から逃れなければ、大学に未来はない!

目次

第1章 なぜ一発試験依存が進んだのか―大学受験の不都合な真実(なぜ日本では「一発試験依存」が進んだのか;戦後の入試改革の流れ ほか)
第2章 入試罪悪論―なぜ「公平性」が求められてきたのか(なぜ公平性が求められてきたのか;揺らぐ「教育の機会平等」 ほか)
第3章 変わるエリートと大学の姿―教育はどう変わったのか(日本におけるエリートと大卒者の関係;高級官僚と軍人という二大エリート ほか)
第4章 世界で求められる大学の変容―研究はどう変わったのか(世界で評価される大学になるために;ノーベル賞と日本人 ほか)
第5章 「大卒=非エリート」時代の大学論―何のための公平か(半数が大学に進学する時代に;教員に意図的な格差・差別を設けるアメリカ ほか)

著者等紹介

橘木俊詔[タチバナキトシアキ]
1943年兵庫県生まれ。経済学者。1967年小樽商科大学商学部卒業。1969年大阪大学大学院修士課程修了。1973年ジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程修了(Ph.D.)。仏米英独での研究職・教育職を経て、京都大学教授、同志社大学教授、日本経済学会会長を歴任。現在、京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

大先生

12
正直、期待していたより内容が薄い(苦笑)。【記述式や面接試験だって不公平とはいえない】【研究系と教育系の大学教員を区別するべし】などの意見には大賛成ですが、目新しさは皆無かと…。フランスのバカロレア(高校卒業資格試験)では哲学が必修となっていて、「時間から逃れることは可能か?」などの問題について、4時間もかけて論述するそうですが、私は日本人で良かった(笑)。ところで、法学部で最低限学ぶべき考え方(私見)をご紹介。①事実と意見の峻別、②理由付けを必要性と許容性で検討する思考回路、③法的三段論法の3つ。2021/07/06

アルカリオン

9
期待外れ▼p4- エリート養成機関としての大学の入試は「公平な」ペーパー試験一発勝負でもよかったかもしれないが、大学の役割が変容している現在においては検討が必要▼p21あたりで当時の文部科学大臣の「身の丈発言」に触れているが、解釈がおかしい気がした。著者は「学力が低い人はそれなりの大学を志望すればよいと受け止められてしまったために反発を買った」としているが、当該発言への反発は「金持ちは何回でも試験を受ければいいし、貧乏人は最低限の回数を受ければいい」と受け止められたためだったというのが私の理解だ。2021/05/11

Mark X Japan

5
大学教授は,研究中心と教育中心に分けるべきでしょう。小中高の教員も,校務(学校運営)中心と授業中心に分けるべきでしょう。公平についても,色々な面があることも考えさせられました。☆:4.02021/02/13

Yappy!

4
大学のデータなども含め、だいたいはここ数年で議論になっているのを著者の観点でまとめているもので、目新しい議論はあまり。全体的に言っていることはわかるけれど、各論の段階でどうするかは多々問題があるので、あくまで議論の一つのとっかかり、大学を取り巻く状況をみる一つのとっかかりとして読むならいいかな。 それぞれこれから元の論文なり情報なりと、社会状況を追って行かないと、表面だけの話になってしまう。これだけで済ませたらだめだな。2021/03/07

takao

1
ふむ2024/10/04

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/17207464
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。