出版社内容情報
限られた上級貴族が集まり、国政の重要案件を論じた公卿会議。この国の合意形成プロセスの原型というべき合議制度の変遷をたどる。
美川圭[ミカワケイ]
著・文・その他
内容説明
天皇家を支えた貴族層のうち、大臣らトップクラスを公卿という。律令制の導入以降、国政の重要案件については、公卿たちが集まり、会議を行って方針を決めた。現在の内閣の閣議に相当する。藤原道長の頃に定まった宮廷政治のあり方は、院政の成立、承久の乱、建武の新政などを画期として変化を遂げながらも、南北朝時代まで続いた。貴族の政務の実態を解説し、日本の合意形成プロセスの原型というべき公卿会議の変遷をたどる。
目次
第1章 律令制の時代
第2章 摂関政治の時代
第3章 院政の始まり
第4章 院近臣と武家の台頭
第5章 鎌倉幕府の興亡と建武政権
終章 公卿会議が生きていた時代
著者等紹介
美川圭[ミカワケイ]
1957年(昭和32年)、東京都に生まれる。京都大学文学部卒業。同大学大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。摂南大学教授などを経て、立命館大学文学部教授。京都大学博士(文学)。専攻、日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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禿童子
26
貴族の任官・叙爵、国司の人事考課、訴訟処理を議題とする上級貴族の公卿会議をタテ線にして、天皇と上皇と公卿が主役になっていた平安時代から、承久の乱で権力を失って完全に朝廷権力が形骸化する時期(足利義満の頃)までの流れをたどる。会議の場が大内裏から摂関家に移り、さらに白河上皇から後鳥羽上皇までの専制君主化で有名無実化したが、後嵯峨上皇の代に訴訟を裁く記録所として復活したのは初めて知った。源平争乱以降、どうしても武士の時代にしか目がいかないが、202年ぶりの譲位を前に、公家の歴史も再認識する必要があると感じた。2018/12/11
みこ
21
政治家として平安貴族たちがどんな活動をしていたのかを資料を基に解説してくれる。というか、これだけ克明な資料が残っているのに彼らの実態に触れる書籍にこれまで出くわさなかったのはどういうわけか。藤原道長が世襲ではなく同属の争いを経て権勢を築いていたのは知っていたが、なぜ関白にならなかったのかは本書で丁寧に解説してくれる。決して雅なだけでなく結構したたかだったのね。院政確立の過程も非常に興味深かった。後三条天皇誕生で一気に藤原氏の勢いが衰えたのではなく紆余曲折があったとは。2018/11/18
南北
20
10世紀頃以降の公卿たちの会議の変遷を書いた本です。平安時代は貴族の叙位や除目、国司の人事考課などを決めていたのが、やがて院政期にはいわゆる治天の君が人事を決めるようになり、やがて土地の所有権をめぐる争いの結審も行うようになってくる展開は興味深く感じました。14世紀頃の足利義満の時代に公卿たちは義満に仕えるようになり、公卿会議は形骸化していきます。数百年にわたって、話し合いで物事を決めようとしてきた公卿会議については再認識する必要があると感じました。 2018/12/31
Toska
19
平安貴族の政治参加については今ひとつ具体的なイメージが持てないのだが、そのギャップをかなりの程度まで埋めてくれる。ただし、副題から想像されるほど盛んに論戦している風でもない。著者自身、公卿会議が天皇大権の抑制ではなく補翼を目的とした存在であることを認めており、その時々の権力者(摂関や院など)に敢然と異を唱えられるものではなかった。寧ろ、にも拘わらず合議の体裁自体は必要とされた事実に興味が湧く。2024/10/15
俊介
19
平安貴族というと、詩歌管弦などの遊びに耽ってダラダラ過ごしてたイメージだったが、ちゃんと実務もこなしてたようだ。国を治めてたのだから当然か。国を治めるためには意思決定が必要。その意思決定は天皇や上皇1人の思いつきで行われたわけでは決してなく、一応ちゃんと会議が開かれていた。本書はそれらの会議がどのようなシステムで運営されていたか、丹念に分析した労作だ。武士が実権を握った中世に入っても、貴族も権力の一部は担ってたので会議は開かれ続けたが、それが徐々に骨抜きにされていく様子が、会議のあり方に表れるので面白い。2021/07/26