内容説明
一九世紀ヨーロッパを代表する政治家、ビスマルクの業績は華々しい。一八七一年のドイツ帝国創建、三度にわたるドイツ統一戦争での勝利、欧州に同盟システムを構築した外交手腕、普通選挙や社会保険制度の導入―。しかし彼の評価は「英霊」から「ヒトラーの先駆者」まで揺れ動いてきた。「鉄血宰相」「誠実なる仲買人」「白色革命家」など数多の異名に彩られるドイツ帝国宰相、その等身大の姿と政治外交術の真髄に迫る。
目次
第1章 「破天荒なビスマルク」として―ある若きユンカーの苦悩
第2章 代議士として―政治家ビスマルクの「修業時代」
第3章 外交官として―外交家ビスマルクの「遍歴時代」
第4章 プロイセン首相として―革命を起こされるよりは起こす
第5章 北ドイツ連邦宰相として―「プロイセンの政治家」から「ドイツの政治家」へ
第6章 ドイツ帝国宰相として―ビスマルク体制下のドイツ帝国
第7章 「誠実なる仲買人」として―ビスマルク体制下のヨーロッパ
第8章 カリスマ的存在へ―フリードリヒスルーでの晩年
著者等紹介
飯田洋介[イイダヨウスケ]
1977年茨城県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業。08年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学文学学術院助手などを経て、11年より岡山大学大学院教育学研究科講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
異世界西郷さん
28
前々からビスマルクについて書かれた本を読んでみたいと思い本書を手に取ってみました。個人的に、少し読み辛い感じがしました。理由としては、19世紀のヨーロッパの知識がある程度ないとビスマルクの行動原理を理解することが難しいのと、個人的に抱いていたビスマルク像が実際と大きく駆け離れていたためかなり戸惑ってしまったためでした。鉄血宰相の異名の元になった演説が誤解も相俟ってかなりのブーイングにさらされていたというのは驚きでした。国王や議会との関係を見ても、よくもまあ宰相を続けられたものだと不思議で仕方なかったです。2017/08/10
紙狸
22
ビスマルク生誕200年のタイミングの2015年刊行。著者、飯田洋介氏は1977年生まれの研究者。文章が明快だ。まえがきで、ビスマルクには「伝統的価値観」と「新たな時代潮流に合致した革新的な要素」という2面性があるという命題を提示。このとらえ方を軸に、ビスマルクの活動を書いていく。先行研究は汗牛充棟に違いないが、上手にまとめているという印象だ。収録の地図を見て実感したのだが、ドイツ帝国当時はポーランドが独立していないから、ドイツはロシアと隣国だった。ビスマルクはドイツとロシアの関係維持に腐心した。2024/05/03
Toska
22
当時はナショナリズムこそが時代の先端を行く革新思想、リベラルの拠り所であったわけで、隔世の感がある。ガチガチの保守でプロイセン王党派、本来はドイツ・ナショナリズムとは対立する立場にあったビスマルクが、結果的にその旗振り役としてドイツ帝国を誕生させたという歴史の皮肉。歴史における個人の役割について、改めて考えてしまう。ちなみに、有名な「鉄血演説」は単なる失言なんだそうです。2023/01/14
ピオリーヌ
22
歴史に名を遺す大宰相ビスマルクについての一冊。ビスマルクはこれまで受け継がれてきた伝統的な権益に執着する生粋のプロイセン・ユンカーであり、ドイツ・ナショナリズムからは本来はかけ離れた存在であった。自身に都合の良い統治システムを構築することで、事故権益と権力を保持しようとしたのである。彼を時代遅れの単なる田舎ユンカー政治家に終わらせなかったのには、議会・新聞・教会といった近代的な手段を巧みに利用した政治手法と、突如襲ってくる状況の変化に敏感に反応して対処できる政治的反射神経の良さがあげられる。2021/08/21
ふみすむ
22
皇帝ナポレオン敗退と「ウィーン体制」樹立の1815年に生まれた彼は、ウィーン体制を解体しながら対外戦争でプロイセンを三度の勝利に導き、ドイツ帝国を創建し、巧みな外交手腕によって中東欧に同盟網を構築することで「ビスマルク体制」と呼ばれる新たな国際秩序を確立した。ユンカーの伝統的価値観を体現し、反革命の姿勢で近代化に反抗しながら、一方で議会・新聞・協会といった近代的な政治手法を利用するビスマルクは、まさしく保守と革新、正統主義とナショナリズム、近代と反革命がせめぎ合う19世紀の時代潮流を代表する人物であった。2017/08/05