内容説明
日本人の心の原風景として語られることの多い唱歌だが、納税や郵便貯金、梅雨時の衛生などの唱歌がさかんに作られた時期がある。これらは、ただひたすらに近代化をめざす政府から押しつけられた音楽でもあった。だが、それさえも換骨奪胎してしまう日本人から、歌が聞こえなくなることはなかったのである。唱歌の時代から「うたごえ」そして現代までをたどる、推理小説を読むような興奮あふれる、もう一つの近代史。
目次
第1章 「国民音楽」を求めて
第2章 「唱歌」の文化
第3章 「唱歌」を踊る
第4章 卒業式の歌をめぐる攻防
第5章 校歌をめぐるコンテクストの変容
第6章 県歌をめぐるドラマ
第7章 「労働者の歌」の戦前と戦後
著者等紹介
渡辺裕[ワタナベヒロシ]
1953(昭和28)年、千葉県生まれ。83年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程(美学芸術学)単位取得退学。大阪大学助教授などを経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授(文化資源学、美学芸術学)。著書に『聴衆の誕生―ポスト・モダン時代の音楽文化』(春秋社、サントリー学芸賞受賞)、『日本文化 モダン・ラプソディ』(春秋社、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
1959のコールマン
59
☆5。今、我々の音楽の中心になっている西洋音楽はどのように受容されていったのだろうか。この本はそれとは多少テーマが違うが、十分にその課程を理解できるように記述されている。とはいえ、著者が「文化は過去の遺産を基に色々な要素が組み合わさりながら複雑に進んでいく」と言いながら、明治時代の邦楽、俗楽に明るくないせいか、西洋音楽ベースの歌が中心に取り上げられていて、日本の音楽文化の複雑かつ豊穣な世界を描くのに成功していない気がした。まあそれでも、校歌の話や県歌の話は面白く読めた。2024/05/05
しゅん
21
共に歌うための「コミュニティ・ソング」である点、卑猥な「俗」から「健全」を守ろうとする点、上からの統制でありながら様々な力学が働いている点で、国民教育としての戦前の唱歌と、労働歌としての戦後のうたごえ運動が同一線上にある、つまり「右翼」と「左翼」は通底しているというのが本書の一つの結論。「戦前」は実はずっと生き延びていたという事例を知る機会が増えたが、本書もまたその一つとして記憶に残る。共同性って忌々しいものだと思うけど、実際どこまで必要なんだろうか。「仰げば尊し」の捉え方の変遷なども面白い。2021/09/18
mitei
12
卒業式に歌う「仰げば尊し」VS「旅立ちの日に」の対立構造というか由来が分かった。2010/11/05
qoop
7
唱歌、県民歌、校歌、社歌、労働歌…といった、特定集団が唱和する目的で生み出された歌。誰が何のために歌によって集団を繋げようとし、繋がった人々は何を思いながら歌い、また歌うことでどう変わっていったか。明治以降の歌の、広義でプロパガンダ的な在り方を説く良書。芸術的側面のみから考えていては理解できない音楽の(いわば)効用を掘り返し、検証していく本書の展開にはかなり興奮する。政治的意図をもって始められた運動が次第に変質していく様子など、一面的な見方からは出て来ない面白みがある。2014/07/26
keepfine
5
音楽を取り巻きそれを文化として成り立たせている様々なコンテクストを解きほぐす。それを通じ、音楽それ自体と我々が考えているものも「実はこういうコンテクストとの関わりの中で初めて立ち現れ、変容していくものだ」という視点をふまえてもう一度捉え返す。例えば「うたごえ運動」は、国民としての自覚を促す方向性が非常に強かったが、戦後復興や高度成長を支えた、国民が一丸となって進んでいこうとする強い帰属意識や、国家の主人公として自由に振る舞う国民像が託されていた。戦前からの転向と連続性が同居する。複雑な折り重なるのが文化。2020/07/22