内容説明
紀元前三世紀、韓の王族に生まれ、荀子に学んだ韓非は、国を憂えて韓王を諌めるも容れられず、憤慨して著述に向かう。その冷徹な思想は秦の始皇帝をも魅了し、「この人物に会えたら死んでもよい」と言わしめた。人間の本性は善か悪か。真の為政者はいかにあるべきか。『韓非子』五十五篇を読み解くのみならず、マキアベリ、ホッブズらの西洋思想と比較して、いまなお輝きを放ち続ける「究極の現実主義」の本質に迫る。
目次
第1章 殷周から春秋戦国へ(神の時代の終焉;動乱の時代へ ほか)
第2章 模索する思想家たち(天・天命は存在するのか;人の性は善か悪か)
第3章 韓非と法家思想(韓非と『韓非子』;人は利で動く ほか)
第4章 韓非思想の継承と変形(統一国家の統治者たち;予防刑と現実主義)
著者等紹介
冨谷至[トミヤイタル]
1952年(昭和27年)、大阪府に生まれる。京都大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。文学博士。現在、京都大学人文科学研究所教授。専攻、中国法制史
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感想・レビュー
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Tomoichi
25
韓非子について知識もなく読んだのですが、著者の構成・文章・解説が良いのかわかりやすくすこぶる面白かった。韓非子が登場する以前の殷周春秋戦国の時代背景から孔孟や荀子の思想をわかりやすく説明し韓非と法家思想を深く考察する。またカントやマキャベリ、ホッブスらと比較によって韓非子の独自性を明らかにする。かなり韓非子とこの著者が気になって来たので他の本も読んでみようかな。2018/02/15
coolflat
21
101頁。「人は信用できない。信義など期待しない」、人間に対する不信、これが韓非の思想の基礎であり出発点である。孔子に始まり孟子さらには荀子へと継承されていく儒家の思想は人間への善意への信頼、人間同士の信義(それが内から醸成されるか、外からの教化を受けて身につくかのいずれにしても)が人間存在の条件であるとしてきた。「信なくば立たず」、今日でも政治家のキャッチフレーズとして使われる言葉だが、韓非はそういった楽天主義を物の本質が全く理解できていない愚かで浅薄、それゆえ間違いと不幸を招来する考えとして切り捨てる2024/02/20
シュラフ
21
「「人を信ずれば、人に制せらる」、不信の哲学の上に立つ韓非、およびその継承者たちが、信を置くべきものとしたのは、仁や義といった曖昧な頼りにならない主観ではなく、法・刑罰といった客観的基準であった」。デジタルとアナログ。共同体の安定秩序を求めるのであれば行動様式を成文化してデジタル化するのがもっとも合理的。しかしながら、デジタルというのは息がつまる。コンプラというものが原理主義化してしまい、多くのビジネンマスが疲弊してしまっている今日の姿のように思える。アナログ的な部分をどこに求めるかというのが課題である。2018/04/28
tom
19
図書館転がり本。冒頭に死体の見分調書が出てくる。これがなんと、秦時代の墓から出て来た竹簡に書かれた文書。これには仰天。紀元前の中国には、こういう文書を必要とする文化がすでにあったのだ。ここから始まって、リアルな現実主義者である韓非の思想を解説。孟子孔子の思考が、お目出度く見えてしまうのが面白い。文章も読みやすくて、するすると頭に入ってくれる。なかなかの良書。読みながら、思い出したのが、ロバート・ファン・ヒューリックのミステリー、古代中国の行政官探偵シリーズ。両方を併読すると面白さが増します。2019/10/23
おせきはん
16
利の追求と信賞必罰を徹底する韓非の思想がなぜ登場したのか、韓非の生きた混乱していた時代背景とあわせて説明されて納得できました。秩序維持のための予防刑の側面の強い信賞必罰は、ここまで徹底されると恐ろしくも感じました。2019/09/09