内容説明
慶応二年(1866)秋、曲芸師一行が横浜を旅立った。目的地はアメリカ、高野広八を後見役とする一行の名は帝国日本芸人一座。その妙技は各地の観客を魅了し、好評の中、巡業地をヨーロッパまで広げる。この間、一行はアメリカ大統領をはじめ各国の貴人・有力者との交流を行なう一方で、好奇心旺盛に巡業地の町を散策したり、取り囲んだ野次馬と乱闘したり、夜は娼婦を求めて出歩くなど、市井人ならではの約三年に及ぶ異文化を体験する。
目次
第1章 帝国日本芸人一座太平洋を渡る(興行師リズリー先生;広八の素性;写真のないパスポート ほか)
第2章 「エウロッパ」へいく(ル・アーブルよりパリへ;徳川昭武より花代五十両;万博会場、珍獣、風船をみる ほか)
第3章 南欧の光と影、そして帰国(マドリッド;闘牛をみる;バルセロナ ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
nbhd
13
渋沢栄一さんのパリ滞在記(航西日記)を読んで、衝撃を受けたのは、1867年のパリ万博で注目を浴びたのは、足芸、コマ回し芸などを繰り広げる日本人旅芸人一座だった。ってことで、そんな曲芸団一座を率いた高野広八さんの日記をひもといて一行の様子をまとめたのがこの本だ。日本と西洋近代の邂逅の凄み、みたいな期待する面白さはなかったのだけど、高野さんの「女郎買い」の話に興味を持った。高野さんは、ある意味、「性的な国際交流」の第一人者でもあったわけだ。「女郎かいにまいり、此夜始て異国女とまぢわりを致候なり」。2024/10/02
ポカホンタス
5
高野広八。幕末の曲芸団の後見人として、約3年間米欧を渡り歩いた。その時につけていた日記が興味深い。著者自らの手で多くの資料を収集した労作。2021/06/29
紫
3
海外渡航の解禁後、最初に海を渡った民間人はドサまわりの旅芸人御一行だった! 時は幕末、アメリカ・ヨーロッパを巡業することになった曲芸団「帝国日本芸人一座」の記録であります。日記の記述をもとにして、巡業地の新聞報道や広告によって補完することで曲芸団の欧米巡業を復元。アメリカでは大統領にホワイトハウスへ招かれ、フランスではパリ万博のさなかに徳川昭武に対面、イギリスでは売春婦に金を盗られるトラブルが起こり、スペインでは内戦に巻き込まれるといった具合で、まるでフィクションを見るような波乱万丈の2年間。星3つ。2021/09/16
amabiko
3
書きものの資料として再読。メモを取りながら読む。本書がいかに膨大な労力をかけて書かれたものであるかを改めて痛感。同種の調査を国内に限ってやったことがあるので、その苦労と喜びが手に取るようにわかる。いかに新聞がデジタルアーカイブ化されてきているとは言え、現地調査に勝るものなし。次は広八日記を読もうか。2019/01/28
amabiko
3
「広八日記」に記録された曲芸団の足跡を丹念にたどった労作。元になった日記のネタがそもそも面白いのだろうが、それにも増して、著者が2ヶ月かけて欧米各地の図書館、文書館で調査をした結果が加わり、読み物としてとても面白いものとなっている。一つ欲を言えば、足芸、軽業、手妻の演目内容をもう少し深掘りしてほしかった。2018/11/04
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