出版社内容情報
1912(明治45)年7月14日、ストックホルム五輪のマラソン競技スタート直前から、物語は始まる。日本初のオリンピック代表選手である金栗四三は、以後、1920(大正9)年アントワープ大会、1924(大正13)年パリ大会にも出場する一方、1920年の第1回箱根駅伝開催にも尽力。その他、現在のマラソンシューズの源流ともいえる「金栗足袋」を開発したり、初めての女子連合競技大会を開催したりと、進取の気性に富んだ「伝説のアスリート」の生涯を、オリンピックのレースシーンを軸に綴る。
読売新聞人気連載、待望の書籍化。
内容説明
五輪で3戦全敗―しかし走り続けた。“日本初のオリンピック代表選手”にして“箱根駅伝の父”が三度のオリンピックで刻んだ、不屈の軌跡。
著者等紹介
堂場瞬一[ドウバシュンイチ]
1963年生まれ。茨城県出身。青山学院大学国際政治経済学部卒業。2000年秋『8年』にて第13回小説すばる新人賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
starbro
191
堂場 瞬一は、新作中心に読んでいる作家です。大河ドラマ『いだてん』は観ていませんが、主人公は一緒でした。同じタイミングではありますが、ドラマの原作本ではないようです。嘉納治五郎は、柔道だけの人だと思っていましたが、オリンピックにも深く関わっていたんですね。金栗四三は、正に奔る男でした。2019/11/19
旅するランナー
151
スッ、スッ、ハッ、ハッ、金栗四三の息遣いが聞こえる。呼吸音だけでなく、心の中の変化まで伝わってくる。42.195kmを走るランナーが感じる、強気、弱気、集中、焦燥、駆け引き、諦念...3オリンピック大会(ストックホルム、アントワープ、パリ)での走る姿を中心に、彼の人生が語られる。戦友三島弥彦に「僕のために走ってくれないか」、恩師嘉納治五郎に「自分のために走れ」と言われるシーンは感動的。いだてんの影響で、中村勘九郎、生田斗真、役所広司の姿が浮かぶ。ランナーの皆さん、顔を上げろ、前を向け。金栗イズムを学ぼう。2019/11/02
ユザキ部長
67
依然なんとなく耳にしたことあるマラソン選手、金栗四三さん。Wikipediaより→ストックホルム大会にて、明治45年1912年〈明治45年〉 - 1967年〈昭和42年〉) - 一時行方不明(最下位〈54年8か月6日5時間32分20秒3〉の方でした。速くなるのではない、強くなる。自分のためだけでなく走る。一人でも結局は皆で走る。面白かった。2021/06/01
背古巣
59
私のマラソンに対する記憶は昭和39年の東京オリンピックから始まる。国立競技場に2位で戻ってきた円谷選手がヒートリー選手に抜かれ3位となったときには物凄く落胆したものだ。これよりも遥か昔、オリンピックのマラソンを3度も走り、マラソン王と言われた金栗選手の話。"奔る男"というだけあって、走っている場面が大部分を占める。金栗選手はストイック過ぎるんじゃないかと思いながら読みました。当時の世界記録保持者でありながら、オリンピックでは勝てなかったんですね。最後の堂場氏の言葉に同感です。面白かったです。2019/11/23
kei302
49
「速く」ではなく「強く」 強く走る。暑さに対する懸念が何度も出てくる。最後の章に堂場先生の思いが綴られているのがよかった。臨場感あふれる描写。100km以上走った気分で読了。 2019/11/28