出版社内容情報
「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた戦没者の子どもたち。戦時下の日本にあって、毎年五千人を超える彼らが、靖国神社に参集したという「社頭の対面」。この一大行事を通して、国家は何を意図し、どのような効果を及ぼそうとしたのか。肉親の死を、国家への絶対的忠誠へと転化し、さらに戦争へと駆り立てていくという、子どもたちが担わされた戦争の一断面を、貴重な一次資料と証言を通して明らかにする。
内容説明
「誉れの子」「靖国の遺児」と呼ばれた、戦没者の子どもたち。国家に翻弄され利用されてゆく彼らの実像を、貴重な一次資料と証言を通して明らかにする。戦争は子どもたちにどんな運命を強いるのか?
目次
第1章 「社頭の対面」と「誉れの子」
第2章 軍人援護政策の展開と「誉れの子」
第3章 「誉れの子」と国家
第4章 「誉れの子」たちが受けとめたもの
第5章 「誉れの子」への国家の冷徹なシナリオ
第6章 「誉れの子」たちの「愛国」
おわりに 「誉れの子」たちの記憶と現代
著者等紹介
斉藤利彦[サイトウトシヒコ]
1953年福島県生まれ。学習院大学文学部教育学科教授。博士(教育学)。東京大学法学部卒業、同大学院教育学研究科博士課程修了。学習院大学助教授などを経て、94年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おかむら
30
昭和13年から18年まで、全国から戦争遺児を集めて靖国神社に集団参拝させる国家的プロジェクトが行われてた。一死報国、名誉の戦死者を出した家は「誉れの家」と呼ばれその子どもたちをいかに国民の戦意高揚に利用したかを当時の文献から検証。「お父さん、よく戦死をしてくださいました」とまで作文に書かせられる当時の雰囲気が怖い。東條英機が子どもたちと一緒に写ってる写真も怖い。ちょっとヒトラーユーゲントのよう。2019/08/25
棕櫚木庵
23
「誉れの子」とは,第2次大戦中に父親が戦死した子.遺児の靖国神社団体参拝が「社頭の対面」と称して1939年から始まった.それらについて,当時の記録,特に,「誉れの子」の文集などによって叙述した書.「社頭の対面」参加者は国民学校5,6年生.「感激性強く而も指導者の指導を無批判に受け入れる年配を選んだ」(軍人支援会援護部長,1943.本書, p.143)と.父親の死によってもたらされる強い感情を「誉れ」と受け止めさせ,国家への忠誠と戦争協力へと導く.靖国神社を通じて大人になされていたことの少年版そのもの.2020/01/19
hitotak
9
父親の戦死による遺児を「誉れの子」と呼び、哀しみに耐えて母親を手伝い、兄弟の面倒を見る健気さを当時の報道は戦意高揚に利用する為大いに喧伝した。遺児たちを靖国神社に参拝させ、皇族や陸軍大将とも対面する。子供たちは神社の神域に入り、宗教体験で「確かにお父さんと会えました」とトランス状態に。指導者の言う事を無批判に受け入れる年代の遺児を特に選び、忠誠心を植え付ける計算もあったという。靖国での感激に雑念を混ぜないため、参拝前後の東京見物も禁止されたというから徹底している。子供達をも戦争に利用する怖さが書かれる。2020/03/24
onepei
4
「美談」が人を苦しめる2019/09/25
星辺気楽
3
父親を殺されても政権から「誉れの子」と煽てられ、敵愾心を募らせて行った悲しい軍国少年、少女たちの記録。2019/10/03
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