内容説明
聖書には、書かれた言葉の奥にある不可視のコトバが無数に潜んでいる。そしてイエスの生涯には、立場の差異を超え、作り手の衝動を著しく刺激する何かがある―内村鑑三、『コーラン』、遠藤周作、シュヴァイツァー、リルケ、ユング、柳宗悦、井筒俊彦、ロダン、白川静…先人たちのコトバを手がかりに聖書を読み、今も私たちの傍らに生きるイエスに出会う。
目次
なぜ、イエスは生まれたのか
誕生
夢と天使
洗礼
預言者の使命
試みる者
山上の説教
祈り
祝祭と許し
死者とコトバ
エルサレム入城
魂の沈黙
使徒の裏切り
最後の晩餐
逮捕
十字架の道行
死と復活
著者等紹介
若松英輔[ワカマツエイスケ]
批評家。1968年(昭和43年)、新潟県に生まれる。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。「越知保夫とその時代 求道の文学」で第14回三田文学新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
80
イエスを知る入門書としては最適の評伝だと思います。4福音書を丁寧に読み解きながら語るイエス像は知識への投げかけをしているようでした。福音書は異邦人にも書かれたという立場に立っているため、普遍的なイエスを見ることができます。かといって聖書的立場の強さはそこまで感じないため、著者なりの表現でイエスを伝えようとしたようにも思えました。キリスト教というだけの枠にとらわれないイエスの存在を見ることができます。2016/12/28
きゃんたか
33
聖書は教会の専売特許ではない。その意味で、万人に開かれたコトバ=イエスを巡る本書の存在意義は極めて大きい。一般的には裏切り者の代名詞として忌み嫌われる弟子のユダだが、「しようとすることをしなさい。」と語りかけたイエスは、どれほど深い憐れみを彼に対し隠し持っていたことか。復活のイエスに最初に立ち会ったマグダラのマリアを、遠ざかった弟子たちと比べた時の異様さは、生まれながらの異教徒たる我々に向けられた神の愛を端的に映し出していると言えないか。美しく綴られた文章で、隠された聖書の味わい深さを思う存分に堪能した。2018/04/02
trazom
17
これはいい本だ。聖書を読む上で大切なことを、若松さんと共有することができる。「イエスはキリスト教徒ではない。キリスト教は、イエスの没後に生まれた」という立場。両親へのイエスの冷たい態度に対する疑問。「主の祈り」の主格がなぜ「私」でなく「私たち」になっているか、「エリ、エリ…」の意味など。何より、自分自身の中にユダがいると考えることによって大きく変わった視界がある。宗教学の基本を外さない中に、著者独特のイエス解釈が浮き彫りになる。同意できない部分もあるが、この人のアプローチは心の通った神学として素晴らしい。2016/04/20
Yuko
13
<聖書には、不可視のコトバが無数に潜んでいる。そしてイエスの生涯には、立場の差異を超え、作り手の衝動を著しく刺激する何かがある。先人たちのコトバを手がかりに聖書を読み直す。> 2015年 菊地信義さんの装幀で猛烈に惹かれた一冊。批評家がイエスを読み解く。 物心つく前から聖書のお話を聞き、学生時代に始めた神父様との聖書研究は社会人になっても続けていた。だけど、こんなに深く聖書を読んだことがなかったな。ユダすらも愛おしい。ユダはユダを生きた。 2020/03/03
のぶひこ
11
クリスチャンなお方と話すようになったので、お勉強に読んでみた。 イエスについてほぼまったく知らない自分には良いテキストだったと思う。 自分のような色々とアレな人間にはイエスは遥かに遠い。いや、こんな人間にこそ優しいのかもしれない。2016/08/08
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