内容説明
恋は生きることの救いとなるのか。なぜ人は人と繋がるのだろう。恋と性と死を見つめ、綾なす女性の心理と生理を克明に描く。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
キムチ
46
いつもながら舞台はカナダの地方のとある生活。小さな人生にスポットライトが当たり、人々の生き方・考え方が綴られる。マンローが生まれ育った環境が湧き上がるイメージとなりそこへ反映されているのは当然。が描写は淡々かつ容赦ない。かといって人に声高く言わせるでもなし、終わってみると余りの仄暗さで唖然とすることも多い。登場人物はさほど共感持てず人間が持つ負の感情すら多い~映画の1シーンと言われるのも当然かも。若い頃、内省的文学は避けていただけに、年取ったからこそ見える心の襞襞。成熟した女の心が余りにも整然と感じられ・2017/07/01
おさむ
44
マンロー女史の初期の1970年代から80年代初頭にかけての短編集。脂ののった後期に比べると、やや粗削りな印象は否めませんが、中高年女性を語り部に、人生や結婚、家族、老いといった普遍的な主題を浮かび上がらせるスタイルは変わりません。日本で言えば、田辺聖子に近いテイストかもしれません。「チャドゥリーとフレミング」「アクシデント」が印象的でした。2017/04/08
白義
20
どこか閉じた世界の中で、心理を内側から覗いたあと映写するような淡々とした世界観が魅力だが、しかしこの世界の穏やかさは極めて暗く、不安定なひびを幾重にも刻んだ静けさだ。それはジェンダーであり、残酷な老いによる閉鎖社会での緩慢な死であり、相互に水面下で侮辱しあう階級のひびでもある。閉鎖的な家族や因習は固定したものに見えて、常に時代や歴史の歪みを強く受け影が出来る。それをメッセージを交えずにただ描く、というそれだけの技術の卓越が、単なるスケッチ小説にとどまらない普遍性と社会性を得ている2013/11/16
星落秋風五丈原
18
「チャドウリーとフレミングー繋がり」 語り手ー私の母方の叔母たちの物語。母方の実家はチャドウリー家である。フィラデルフィアに住む看護師のアイリス、ドゥ・モインに住むフローリスト・ショップのオーナーのイザベル、ウィニペグに住む教師のフローラ、エドマントンに住む女性会計士のウィニフレッド。オールドミスとひとくくりにされる彼女たちははち切れそうなお腹とお尻を持ち、言いたいことを喋る、体も口もボリューミィな存在。揃えばかしましい。そんな彼女たちが、唯一結婚している母の家を訪ねてくるとここだけの打ち明け話を始める。2025/07/21
愛玉子
13
小さなコミュニティの、ささやかな日常が濃やかに綴られていく。遠い外国が舞台なのに、その心の揺れはとても近しいものとして感じられる。しかし共感とともに湧き上がってくるのは、心地良い感情ではなく、どこか落ち着かない、かすかな怖れさえ含んだもの。愛する人や家族に恵まれてさえ、何かがざわめく女性たち。そのさざ波のような、なんとも形容し難いざわつきが、チクチクとこちらの心を刺激する。絶望、ではない。諦観とも少し違う、どうしても切り捨てられない何か。うーん、上手いなぁ。短編集なのに、とてもとても読み応えがありました。2013/11/02