凡庸さについてお話させていただきます

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凡庸さについてお話させていただきます

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  • サイズ B6判/ページ数 251p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784120015328
  • NDC分類 914.6

内容説明

マクシム・デュ・カン、食事、性、知識人、良い「結論」と悪い「結論」、女子大生と卵、国際映画祭、哲学者、モード、出題予想…この世界の記号と、その凡庸さに耐えることをいかに形式化してゆくか、と語る斬新なエッセイ集。

目次

凡庸さについて
氾濫する映像情報のフォーカスは合っているのか
「性」とはなににもまして差異の体験であり性器の体験ではないのだ
情報化社会ではなぜ食事から快楽が失われたのだろうか
大学入試の出題予想が的中してしまう現実をどう楽しむことが正解なのか
大衆消費社会では知識人もまた絶えざる“芸”を要求される〔ほか〕

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

15
83~84年頃の、中央公論掲載をエッセイを中心にまとめている。冒頭で蓮實における「凡庸」の意は明瞭に提出される。すべてが相対的な比較に収まる状況、19世紀フランス第二帝政期における新聞や教育のシステムが作った状況に収まる存在が「凡庸」であり、私たちの人生は凡庸を宿命づけられる。そして、「凡庸」と「非凡」の構造自体が「凡庸」である。凡庸から私たちが抜ける術はない。遭遇する「事件」への愛を実践することだけが、私たちにできることである。パリのディナーでコーヒーを注文するアメリカ人女性の話が印象深い。2022/06/14

ルンブマ

3
同じようにフローベールを足場にしていても、蓮實シゲヒコと外山シゲヒコとでは、対象をそれと直接には関係のないものを借りて解明しようとする行為(≒比喩)に対する評価が異なり、前シゲヒコはそれを「凡庸」と言って切り捨てるが、後シゲヒコは「真の比喩」(≠写実至上主義)があるとして、その可能性を探ろうとする。外山のそれは、比喩というものを「悪しき比喩」(未消化な思考を比喩の形式を借りて合理化しようとするもの)と「真の比喩」(写実と相互補償的関係にあり、写実が到達しえぬところに参入する力を持つ)とに分け、2021/02/25

c****a

3
冒頭のエッセイ「凡庸さについて」は極めて興味深い。凡庸なる作家の例として、フローベールの友人としてのみ記憶されているマクシム・デュ・カンを例に取り、フランス第二帝政あたりから凡庸さの時代が始まったと指摘する。誰しもこの凡庸さからは逃れられず、逃れうるとすればそれは相対的な才能ではなく、方向性を欠いた愚鈍さであると著者は言う。もちろん、われわれの生きる現代もこの凡庸さの時代である。 なんとなくSNS時代になってますますこの凡庸さが可視化されるようになってきたと感じるので、今読んでも得るところが大きいと思う。2013/10/21

chiro

1
凡そ35年ほど前に書かれた著作。自身にそんなつもりは無かったであろうが当時のニューアカデミズムの潮流にあって、その師ともいうべき立場にあった著者の時評。大衆消費社会を論じた章での三島由紀夫についての指摘の鋭さに改めて敬服した。2020/05/16

なかち

1
凡庸さは時代の要請。小林秀雄も吉本隆明も誰かが誰かより冴えてるという批評をやってた。文学者はパリの第二帝政期から〇〇は倦怠している、と百年言い続けらている。隠されていた性情報が氾濫し、裏方のコピーライターやイラストレイターが露出する時代。アメリカ女性をフランス料理に連れてったらコーヒー飲みながら食いだした。日本の首相はパリの高級レストランでオレンジジュースを飲んでた。大学の予想問題が的中するとニュースになるがそんなのただの偶然だ。映画語を学ぶのが真の国際性。大嫌いだと宣言した途端に大嫌いな対象が出現する2010/10/14

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