新潮新書<br> 手段からの解放―シリーズ哲学講話

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手段からの解放―シリーズ哲学講話

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  • サイズ 新書判/ページ数 208p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784106110726
  • NDC分類 104
  • Cコード C0210

出版社内容情報

「楽しむ」とはどういうことか? 『暇と退屈の倫理学』にはじまる哲学的な問いは、『目的への抵抗』を経て、本書に至る。カントによる「快」の議論をヒントに、「嗜好=享受」の概念を検証。やがて明らかになる、人間の行為を目的と手段に従属させようとする現代社会の病理。剥奪された「享受の快」を取り戻せ。「何かのため」ばかりでは、人生を楽しめない――。見過ごされがちな問いに果敢に挑む、國分哲学の真骨頂!

内容説明

「楽しむ」とはどういうことか?『暇と退屈の倫理学』にはじまる哲学的な問いは、『目的への抵抗』を経て、本書に至る。カントによる「快」の議論をヒントに、「嗜好=享受」の概念を検証。やがて明らかになる、人間の行為を目的と手段に従属させようとする現代社会の病理。剥奪された「享受の快」を取り戻せ。「何かのため」ばかりでは、人生を楽しめない―。見過ごされがちな問いに果敢に挑む、國分哲学の真骨頂!

目次

第一章 享受の快―カント、嗜好品、依存症(生存にとっての余白;消費と浪費;楽しむとはどういうことか;嗜好品という語;ドイツ語の或る単語 ほか)
第二章 手段化する現代社会(初めてのカント論;インフラからアーキテクチャーへ;浪費と消費、ふたたび;『暇と退屈の倫理学』で書き残したこと;目的に対立する嗜好品―嗜好品とは何か ほか)

著者等紹介

國分功一郎[コクブンコウイチロウ]
1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。博士(学術)。専攻は哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

初美マリン

91
カントのいう批判というのは、対象を吟味して分けるということのように用語が少し理解できた。人間は道徳的であろうと義務づけられていて、知性の限界の中で最大限努力すること、ふんふんとわかったような気分で終わった。楽しみを否定ではなく、それのみではいけないと。どうしてなのかよくわからないけれどという言葉とともに、読み終わった。2025/02/22

ころこ

48
本書は前半の論文と後半の講義とで同じ内容を反復している。問題は、前半の論文が凄く難しいことだ。(順番通りに読むことをお勧めするが)嗜好品にあたるドイツ語の考察、この言葉を使用した哲学者カントの引用と読解、特に『実践理性批判』の欲求能力と『判断力批判』の感情能力を(恐らくラカンを意識した)四象限による分析と厳密な論理展開によって書かれている。結論はタイトルにあるように明確で簡単だ。定言命法のように、それ自体を目的からも手段からも自由な快として、普遍性を要求せず各人それぞれに固有の楽しみとせよとなる。楽しみは2025/02/18

特盛

42
評価4/5。人生にはバラが必要だ。売れに売れた、「暇と退屈の倫理学」でたどり着いたテーゼの一つとして、記号を受け取るのではなくモノを楽しむことの意義があった。では、楽しむとはどういうことか?これが本書の中心主題だ。嗜好品の考察からカントの判断力批判、実践理性批判を援用し、手段ではなく目的としての快のあり様が議論される。資本主義者社会で手段化しやすい消費についても。自分はこれがいいという偏愛的な、手段から切り離された快適さは確かに人生に充実を与えてくれる。美や崇高さ、といった脇の議論についても興味深かった。2025/02/26

ta_chanko

29
「嗜好品」とは何か。それはそれ自体を味わうもの。快適さを享受するもの。ところが、ここに「○○のために」という手段を持ち込むと、たちまち依存症に陥る。その典型が「クスリ」。これは手段そのものであり、味わうものではない。このような話から、著者はすべてが手段化する現代に警鐘を鳴らす。娯楽にしても、他者から「楽しむことを強いられる」状態。たとえ低次の欲求であろうとも、それ自体を享受し、味わい、楽しめるような余裕が、豊かな人生につながるのではないか。2025/04/21

みこ

26
カントの哲学を通じて享受の快について語る。何回ではあるが同じ内容を前半は論文で後半は講義で記しているために嚙み砕かれたような理解が頭に浸み込んでいく。目的が手段とならずにあくまで目的のままでいる。つまり、お酒の味を楽しむために飲むのであって日常の嫌なことから解放されるために飲むのではないことが快である。楽しむために楽しむというと、生産性のない行為に思えるが、そもそも生産性なるものに捉われること自体が現代社会の病苦とも言える。2025/04/10

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