出版社内容情報
清沢満之から鶴見俊輔まで、卓抜な親鸞論から考える日本思想史。「絶対他力」「自己への懐疑」など、今なお重要な思想の核心に迫る!
内容説明
「己の正しさを疑わない」言説ばかりの現代に必読の親鸞論!近代以降、右翼から左翼、文学者や哲学者まで、あらゆる論客がその魅力や影響を熱く語り続けてきた国民的高僧・親鸞。なぜ日本人は、かくもこの仏教者が好きなのか―。「罪悪感の思想家」「宗教の解体者」など、それぞれの親鸞論を深く読み解き、「絶対他力」「自然法爾」といった親鸞思想の核心に迫る。気鋭の研究者による、親鸞をめぐる日本精神史。
目次
序章 親鸞と日本人
第1章 俗人の仏教
第2章 「罪悪感」の思想家
第3章 弟子として考える
第4章 超越と実存のあいだ
第5章 異端の精神史
第6章 宗教の終焉
終章 アイ・アム・ロング
著者等紹介
碧海寿広[オオミトシヒロ]
1981年東京生まれ。専門は近代仏教研究。武蔵野大学准教授。慶應義塾大学経済学部卒、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。博士(社会学)。龍谷大学アジア仏教文化研究センター博士研究員などを経て、2019年4月より現職。2013年、第29回暁烏敏賞・第一部門(哲学・思想に関する論文)入選(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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trazom
101
本書は、悪人正機や自然法爾など、親鸞を代表するキーワードごとに、近現代の知識人が親鸞をどのように受容してきたかを紹介している。非僧非俗は親鸞独自のものではない、親鸞は絶対他力という言葉を使っていない、本願寺は親鸞の思想と完全に矛盾する、自然法爾を親鸞の到達点とするのは疑問など、ユニークな論点に思わず引き込まれる。随所に指摘されるキリスト教との近接性も面白く読む。更に、阿部謹也/吉本隆明/梅原猛/鶴見俊輔の各先生による現代社会への鋭い思索は、正に、親鸞とともに考えた結果なのだということを納得する。いい本だ。2023/07/15
ネギっ子gen
53
【親鸞は、日本でこそ人気はあるが、海外での注目度は低い。グローバルに普及したZEN(禅)との相違が際立つところ】仏教者の清沢満之を筆頭に、哲学者の田辺元、三木清、梅原猛、歴史家の家永三郎や阿部謹也、文学畑から小説家の吉川英治たちを取り上げ、それぞれの親鸞論や、親鸞に触発された彼らの思想や活動を取り上げながら、親鸞が多数の日本人に受け入れられていく過程を考察。<本書は、親鸞が何を教えたかという、親鸞自身の言葉よりも、むしろ親鸞以後を生きてきた日本人が、親鸞と共に何を考えてきたのか、この点にこだわる>と。⇒2023/03/30
ホシ
21
清沢満之、近角常観ら真宗僧侶はもちろん、倉田百三、三木清、鶴見俊輔、吉本隆明、亀井勝一郎など親鸞に魅せられた近現代知識人の思想が鮮やかに解説されます。そして、これら知識人に共通する核心は「私は間違っている」の思想であり、親鸞をめぐる精神思想史の系譜であるとします。本書で取り上げられる論客の思想に明るくないこともあって消化不良があることは否めませんが、なぜ、こうも近代知識人は親鸞聖人に魅せられてきたのか、一つの答えを示す良書です。親鸞ファンに強力推薦。2024/01/25
乱読家 護る会支持!
6
僕が考えている宗教的人生観は、、、 ◎大前提として、この世界にある宗教団体の教えや信仰を受け入れる気は全くない。 ◎自分自身を絶対値で見ていくと、、、自分の罪を感じる。生きている時間が長くなるほど、罪を重ねて、罪が深くなっていっている感覚がある。 ◎自分自身の中心は、ガランドウで何も無い中空なものと思える。その中空の外側にあるハリボテの自分が罪を犯し続けている。 ◎そんな罪深い僕を救う存在は、神仏であり自然であり、自分自身である。救いとは感謝であり、他者や社会への愛である。 ◎ゆえに、親鸞を求め続ける。2022/01/31
とむぐりーん
3
朝日新聞の特集記事「歎異抄」に参考図書として掲載されており、書店で購入した。日本の知識人の親鸞や歎異抄への関わり方について、解説したガイドブックであり、著者の親鸞思想への深い洞窟は感じられなかった。吉本隆明の章で、歎異抄13章が出て来ますが、「宿業の身」である自分という分析が不足していると思いました。2023/06/02