とんぼの本
洲之内徹 絵のある一生

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  • サイズ A5判/ページ数 143p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784106021633
  • NDC分類 910.268
  • Cコード C0370

内容説明

小林秀雄が「当代一の評論」と称賛した型破りの“美術批評家”にして風変わりな“画廊経営者”、そして破天荒な“生活者”…そのような“自画像”を14年間にわたって「芸術新潮」に書き綴った私小説的連載「気まぐれ美術館」は、突然の死によって中絶を余儀なくされた。あれから20年、74年間の数奇な生涯を今、見直せば、絵を見ることは絵を経験することであり、すなわち自らの生を全うすることなのだという烈しい精神のかたちが立ち現れてくる。洲之内徹とはいったい何者だったのか。

目次

第1部 洲之内徹のいた風景(松山―帰りたくない風景;残んの月―松山時代の洲之内さん;新潟―漂泊の人と新潟の縁;東京―水面に映る風景 洲之内徹の東京;スノウチの塗りつぶし―“美術批評”として読む洲之内徹)
第2部 懐かしの「気まぐれ美術館」名作選(「気まぐれ美術館」あとさき;「あのさあ」のつきあい;「洲之内コレクション」と宮城県美術館)

著者等紹介

関川夏央[セキカワナツオ]
1949年、新潟県生れ。上智大学外国語学部中退。主著に、『海峡を越えたホームラン』(双葉社、1984、講談社ノンフィクション賞、双葉文庫、1997)、『「坊っちゃん」の時代』(共著全5冊、双葉社、1987‐97、手塚治虫文化賞、双葉文庫、2002‐03)、『昭和が明るかった頃』(文藝春秋、2002、講談社エッセイ賞、文春文庫、2004)など多数。2001年、『二葉亭四迷の明治四十一年』(文藝春秋、1996、文春文庫、2003)など、明治以来の日本人の思想と行動原理を掘り下げた業績により、司馬遼太郎賞受賞

丹尾安典[タンオヤスノリ]
1950年東京生れ。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学文学部教授。専攻は近代美術史

大倉宏[オオクラヒロシ]
1957年、新潟県生れ。81年、東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。85‐90年、新潟市美術館学芸員、以後フリーとして、新潟を拠点に美術評論を行う。現在、新潟絵屋代表、砂丘館館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ホークス

32
洲之内徹は大正2年生まれ。『気まぐれ美術館』等のエッセイが好きだ。洲之内氏は戦前に受けた思想的な迫害を通じ、人間の内なる矛盾に絶望した。世界とつながる縁として最後に美術が残ったように思う。画家への想いを語る時に苦しさが滲み出て、私は少し救われる。正解など人間に分かるはずもなく、助けを借りてただ自分を知っていくだけ。一枚の絵から画家の道行きを感じとる視線が鋭くて優しい。生活する洲之内氏のスナップは元気そうで、「そう深刻になるなよ」と言ってるようだ。実は太々しい人だったのかも知れない。それもまた良いと思う。2024/02/07

ピンガペンギン

9
月刊誌「藝術新潮」連載の「気まぐれ美術館」が有名な小説家、画廊主催した洲之内徹の人生を辿ると同時に名画も楽しめる。彼が中国で兵役に付いていたとき、三光作戦の計画を立てさせられたという。本当に嫌な仕事で、そのときに「ポアソニエール」(魚を頭にのせて行商)という美しい女の絵を見て心の支えにして生き抜いたというエピソードがあった。洲之内は後に実物と出会って持ち主に必死にたのみこんで譲ってもらった。2022/12/13

ロータス

1
「芸術というものは、生存の恐ろしさに脅え、意気沮喪した人間に救済として与えられる仮象だと、私は考える。生存に対する幻滅なしには、真の芸術への希求もない。」本当にそのとおりだと思う。2019/09/08

takao

0
ふむ2017/03/19

小葉

0
○ 母校の校歌の作詞者ということしか知らなかった洲之内徹。こんな人だったんですね。「気まぐれ美術館」も読んでみよう。[z]2009/05/29

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