内容説明
多くの人々に受け入れられた分類体系は、ある時代と地域の思想・文化をうつし出したもの。確立されたと思われている、生物の分類とてその例外ではない。分類するとはどういうことか、いったいその根拠はどこにあるのか。様々な事例を示しながら、その素朴な疑問を解き明かす。構造主義生物学の俊英による分類学事始め。
目次
第1章 名づけることと分類(なまえとフェティシズム;コトバは思考をしばる;コトバは何を指すのか)
第2章 何をどう分類するのか(客観的な分類方法はあるのか;生物分類の歴史;みにくいアヒルの子の定理)
第3章 進化論が分類学に与えた衝撃(現代分類学の3つの学派;進化のプロセスにもとづく系統分類;リンネの呪縛から逃れられない系統分類)
第4章 新しい分類学を求めて(DNAから見た系統学;構造主義分類学の提唱)
第5章 まとめ
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ymazda1
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この本とは関係ないけど、小学生のときに図鑑を見てて、サメとイクチオサウルスとイルカは似てるのに、なんでおんなじ仲間じゃダメなの?みたいな疑問を抱いて以来、こういった本をたまに読むと安心してしまうようになってしまった。。。
Kumo
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読了したが、まだあまり消化していない。「自然分類」や「原型」など、著者独特の言葉の用法が多く、解りづらかった。様々な分類学派を紹介しながらも、分類は特定の時間断面に対する行為である、という発想は何処にも触れておらず、化石種や祖先種の扱いで議論を複雑にしている印象があった。科学的実在を追い求めるあまり、時間を越えた普遍性に囚われているような気がする。分類学がそこまで「科学的」な代物だとは思えない。自然言語による分節(必然的に地域生物相しか扱えない)を科学的分類に援用することもあまり理解できない。2017/02/01
くれは
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どうも著者は、生物分類学も物理学や化学と同じ意味で「科学」でなければならないと考えているように見受けられる。だが著者の言うとおり、無時間的な「科学的実在」を措定することは、初期条件と境界条件が完全に把握できるほどに単純なシステムを対象にした学問領域でしか、原理的に成し得ないのであり、オープンなシステムを扱う生物学で「科学的実在」を扱おうとすること自体に無理がある。そしてそれは「そういうもの」なのであり、決して学問領域の優劣を決めるものではない。別に生物分類学が「科学」でなくても構わないのではと思う。2014/08/28
まつゆう
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分類学に絡めつつ話を進める2章以降は引き込まれていったけど、1章が読み辛くてどうにもなぁ。ちゃんと読めばフッサールとかカール・ポパーとかと同じことね、と理解できるけど、淡々とした文章でどんどん話が進むので(それは逆に言えば、少ない言葉だけで要点を伝えることができているという意味ではとても効率的で頭が良い)、逡巡しながら読まなきゃならず、理系畑の書く文章という印象だった。…と、文/理で分けることが、実は自分の浅はかな思想を表明していることになってしまうというのがこの本の主張らしい。猛省。2013/05/05
かやは
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難しい。とりあえず理解できたのは、分類という行為は、非常に人間的な行いだということ。生物は常に連続的に変化していく存在で、それを何処で分けるのか、という捉えは、絶対的なものでは無い。研究が進むにつれてその根拠も変化していくということ。2012/10/16