新潮クレスト・ブックス<br> わたしの人生

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新潮クレスト・ブックス
わたしの人生

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  • サイズ 46判/ページ数 176p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784105901974
  • NDC分類 976
  • Cコード C0398

出版社内容情報

わたしは忘れない。日本で、9歳にしてもっとも死に近づいたときのことを――文化人類学者の父の研究のため来日した著者は、1943年から終戦まで一家5人で抑留される。蟻や蛇を食べるほどの飢餓、父母が与えてくれたささやかな楽しみ、乳母など優しくしてくれた日本人との思い出、ファシズムへの憤り……。イタリアを代表する作家が七十余年の時を経て、現代への警鐘を込めて綴ったメモワール。

内容説明

1943年9月、突如暗転した、京都で暮らすイタリア人少女の運命。心身を苛む監視の警官による屈辱的な扱いと生命を脅かすほどの飢餓、優しくしてくれた日本人との思い出、そしてファシズムへの憤り…。封印していた過去を、ついに記した心揺さぶられる回想録。日本育ちのイタリアを代表する作家が、戦争が絶えない世界への警告と未来への希望を託したメモワール。

著者等紹介

マライーニ,ダーチャ[マライーニ,ダーチャ] [Maraini,Dacia]
1936年フィエーゾレ生まれ。作家・詩人・劇作家。文化人類学者の父フォスコ・マライーニ、母トパーツィア・アッリアータとともに1938年来日。一家5人は終戦までの約2年間、名古屋の強制収容所に抑留され、1945年イタリアに帰国。1962年『バカンス』でデビュー。1963年に『不安の季節』でフォルメントール賞、1990年『シチーリアの雅歌』でカンピエッロ賞、1999年Buio(未邦訳)でストレーガ賞受賞

望月紀子[モチズキノリコ]
東京外国語大学フランス科卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

アキ

109
イタリアで生まれ2歳で来日し京都で両親と日本文化に囲まれ生活していたが、ある日警察が来て名古屋の収容所に連行された。イタリアのファシストへの反対を咎められたから。終戦までの間、冷酷な粕谷にことある毎に米のゴウ(合)を減らされ、親から禁じられた蟻を口にする日々。父の抗議の指切り事件。そして天白の収容所から挙母の寺に移され終戦を迎えるまで。1945年イタリアに帰国し、その後数多くの小説を書いたが、忘れようにも忘れられない6、7歳の頃の記憶を80歳台になって書いておきたいと思った。それは彼女の原点であったから。2025/03/16

ケンイチミズバ

81
この人たちに謝りたい。それにしても少女の堪能な日本語、白いご飯が美味しい、パンはほとんど食べたことがない、大根が嫌いという好き嫌いのくだりも。この小さな子供たちが、気の毒でならない。なんて酷いことを。あまりの空腹で庭のアリを食べた。収容施設に赤十字や教皇庁から特使が訪れた時、ナチスの演出同様ご馳走が用意され、会話は禁じられ強制的に笑顔を作らされ監視の中でまともな食事にありつくことが出来た。極度の空腹が人間の信念を揺らがせることも分かった。そんな中でいつも笑顔で縫物をしていた母の姿には敬意しかありません。2024/12/12

とよぽん

61
この本、2週間前の読売新聞書評欄で知った。戦争の被害を語り継ぐだけでなく、戦争の加害について私たちはもっと知らなければならないと思う。著者はイタリア人で、父親の仕事により家族で日本に住んでいた。が、戦争のために名古屋の収容所に2年間入れられ、心身ともに塗炭の苦しみを受けた。当時彼女は7歳~9歳の少女。1936年生まれの、現在88歳だ。今、世界が不穏な状況になってきたことで、彼女はこれまで辛くて書けなかった名古屋の収容所のことを、何としても書かなければという強い思いに動かされたのだそうだ。読んでよかった。2025/02/23

天の川

57
日本育ちのイタリア人の少女。京都弁を話し、日本の自然に親しみ…1937年、日本の同盟国だったイタリアが降伏した後、連合国側に転身。ナチスの傀儡政権であるサロー共和国への支持を拒否した両親とともに名古屋の収容所へ。軍国主義に凝り固まった警官達による支給食料の隠匿、収容者達への虐待。少女は蟻や蛇を食べて飢えを凌いだ。日本を愛し、自らを日本人と認識していた少女の絶望と日本を愛する変わらぬ心。数々の本を上梓してきた文学者は口をつぐんできた体験をようやく本にまとめられた。→2025/03/24

ヘラジカ

43
高名な老作家がいま敢えて語る過酷な記憶。大戦下の収容所で過ごした時の回顧録ではあるが、死生観/宗教観、文化風俗や民族論、そして家族への不滅の愛情が綴られており、とても幅広く奥深い。収容所での日本人警察官による非人道的なエピソードの数々には、現代にも通じる日本人の醜悪さを見せられて思わず目を背けたくなる。しかし、それと共に普遍的な善性をも描かれているので、どちらも決して無視してはならないのだろう。恥ずかしながらこの作家の作品は読んだことがないので、いつか必ず読みたいと思う。2024/12/16

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