出版社内容情報
まず「祈り」から始めよう…。震災以後に蔓延する「正義」と「安心」の迷妄を断ち切り、無力な我々にできることは何かを問う智慧の書
どんなに、心が揺らいでもかまわない。まずは、祈ることから始めよう――。今ほど、人生の成熟が問われている時代はなかった――。震災・原発事故後の日本に蔓延する「正義」と「安全」への妄信を断ち切らねばならない。しかし、無力なる我々にできることは残っているのか? フクシマに暮らす僧侶兼作家がほとばしる思いで「祈り」を説き、「目に見えないもの」の価値を訴えた、警醒と智慧の書。
内容説明
フクシマで暮らす僧侶兼作家が見たもの、考えたことの全て。
目次
祈りの作法(福島がフクシマになってから;利他的な遺伝子が解凍された;「呪い」を越えて;無力だからこそ祈る)
放射能と暮らす(正義はとっても困る;この秋の、切なる願い;蜘蛛のなかの銀;面子と慈愛のはざまで;沖縄から見たフクシマと人権;アララの原則)
震災日記―自二〇一一年三月十一日至六月二十八日
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
1956(昭和31)年、福島県三春町生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒。様々な仕事を経て京都の天龍寺専門道場で修行。現在は臨済宗妙心寺派の福聚寺住職。2001(平成13)年、「中陰の花」で芥川賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
スノーシェルター
19
この住職の本が好きなので、仏教に関する内容かと思って借りたのだけれど、三春に住む住職の地震、原発、放射能についての内容だった。「ぐずつき」にはとても共感する。地震発生から3ヶ月の日常をまとめた日記も、日々の葬儀をこなしながら、住職なりに放射能との向き合いかたや、正直な気持ちを綴っていて、自分も考えながらじっくりと読んだ。オススメ。2014/12/09
のし
12
無力をどう受け止める…そして、無力ながらに何ができるか?福島と自分。よく調べ、よく考えてある。とても深い本でした。2014/09/23
rimi_o
3
読了。震災の時にはただ一人の人間としてだけでなく、社会的な職業上の立場から自分に何ができるのか、震災時に、そしてこれからも存在意義はあるのだろうかと自問自答することがあった。そんな問いが宗教界にもあったとしたら、答えを得るのは難しいように思う。祈るほど無力さを感じずにはいられなかっただろうし、祈らずにはいられなかったと思う。そして多くの人が犠牲になった震災は祈りが必要だった。時間が経つにつれ、祈る行為は減っていくのかもしれないけれど、本来は心や風習の拠り所として復興の最前線にあるべきものなんだと思う。2014/08/02
Tadashi Kuroda
2
放射能と暮らすというスタンスに共感。現実問題として、低放射線の中で暮らしていかなくてはいけないのは事故をなかったことにできない以上仕方のないこと。そこで現実に生活する上でどのような工夫があるのか、危険をあおるだけでなく、冷静にそのような知恵が専門家から聞きたいという思いは、本を読んでいてよく伝わってきた。ただ、いろんな雑誌への投稿や講演の内容が混ざっていて、わかりやすさという意味でいまいちかも。本の後半60ページほどに震災日記が付いているのもちょっと手抜きな感じ。2012/08/28
彩美心
1
福島のこと今更ながら気になって手に取った。三春の滝桜を見に行ったばかりだが、なんと美しい土地だろうと感動。放射能で汚染するなんてもったいない。また行きたいと思う。2018/04/22