出版社内容情報
どんなに仲の良い夫婦でも、いつかどちらかが独り残される――。老学者が急逝した妻へ綴る惜別の賦。理想的な〈昭和の夫婦〉の物語。
内容説明
あなたのいない毎日に、ぼくは慣れることができない。小学校の同級生でもあった妻。彼女は突然逝った…老社会学者が愛惜深く辿る“ある夫婦の心の旅路”。
目次
その朝
血のメーデー
青南小学校
戦争
めぐりあい
ストーカー時代
ポッカリ月が出ましたら
それぞれの歩み
家庭の事情
いきなりハーバード〔ほか〕
著者等紹介
加藤秀俊[カトウヒデトシ]
1930年、東京渋谷生まれ。社会学博士。一橋大学卒業。京都大学、スタンフォード大学、ハワイ大学、学習院大学などで教鞭をとる。その後、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英会会長などをつとめる。また梅棹忠夫、小松左京らと「未来学研究会」を結成し、大阪万博のブレーンともなった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ちゃちゃ
109
なんと愛惜の想いに満ちたラブレターだろう。出会いから永の別れまで、互いを尊敬・信頼し、老いては労り支え合うお二人の姿に、こちらまで胸が熱くなる。著者は御年91歳の高名な社会学者。手紙の相手は亡き妻の隆江さん。学者としての夫の転機には「好きなようにしたら。どうにかなるわよ」と常に朗らかに勇気づけてくれた妻。聡明で好奇心旺盛、とてもポジティブ。亡くなられても妻への想いは変わることなく、静かな「微弱電流」のように著者の中を流れているという。振り返るといつもあなたの笑顔があった…そういう人生を私も送れたらと願う。2021/11/05
ネギっ子gen
52
連れ合いは、この題名を見て「加藤先生がねぇ、それにしてもこのタイトル。気恥ずかしいっていうか」と。わたしが「それ言うなら、江藤淳だって『私と妻』で」「そう、それであの江藤淳が妻の後追い自殺だもんね」など言いながら読んだ連れ合い、読後一言。「面白かった」と。戦後3年目に、同じ小学校に入学した「ぼく」と「あなた」。2人が18歳の春に「おつきあい」が始まり、血のメーデー事件の1万人の中からの「運命の出会い」を経て、2人はデートを重ねるように。「あとがき」で、著者は執筆動機を。「だって書きたかったんだもん」と。⇒2022/06/12
ぶんこ
50
社会学者の著者と奥様の、馴れ初めから90歳で奥様が亡くなられるまでが綴られていました。青山での同じ小学校の男組、女組としての同窓生が、下北沢のホームでの再会、血のメーデーでの逃亡劇からの結婚。結婚後はアメリカの各地や日本での生活を助けあいながら送られてきました。特に戦後間もない時に、先にボストンに赴任していた新婚の夫の元へ船で西海岸へ。そこから乗り継いでボストンまでを一人で乗り切った奥様の度胸に感嘆。何より著者の奥様への愛情が飛び抜けていて、しかも、それが長年にわたって衰えることがなかったというのが凄い。2022/05/12
クリママ
46
朝食を用意し、起きてこないあなたを呼びに行けば、すでに旅立っていた。青山の小学校の同級生、学生時代の再会から、血のメーデーで手を取り合って逃げ、その偶然から結婚を決意した。アメリカ赴任中は単身渡米してきてくれたことなど、戦時中も含め二人で共に過ごした日々が、最愛の妻であるあなたに、敬愛と慈しみをもって綴られている。それぞれに持病がありながらも75歳から始め86歳までの海外の島めぐりの旅、ワインとチェスを楽しむ日々、アカデミックで品の良いお二人。ラブレターを書く残された夫君の心情を想う。2024/09/23
わむう
41
小説かと思って読んでいたら個人伝記でした。小学校の同級生で90歳までずっと一緒に暮らした夫婦。日本国内だけでなく海外への転勤の時も決して離れなかった。お互いに尊敬しあい、お互い結構マイペース、二人とも向上心が強いところも夫婦円満の秘訣なのかもしれません。なにより著者が奥様にべたぼれなことが伝わってきます。生まれ変わってもまた出会ってほしいお二人です。2021/11/06