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内容説明
ジャズから出発してジャンルを超えたTV時代のスーパースターと、関西新派の家に生れて舞台一筋に生きた名優―。東京と大阪、モダルと土着。すべてに対照的ながら、戦後日本に傑出する二人の喜劇人を、人気稼業に不可避の人生の浮沈と時代相を背景に、生き生きと描きだす。
目次
植木等とその時代(ジャズ喫茶;歌で始まる;映画への進出;スーパーマンの憂鬱;頂点;王朝の崩壊;サウンドの評価と復活)
藤山寛美とその時代(東京オリンピックの年;成功への綱渡り;「阿呆まつり」のころ;成功と疎外感;黄金時代;花のマクベス;終幕)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
六点
82
1992年発行だけあって、まだ植木等は存命、藤山寛美はなくなって間もない時期である。いずれにせよ六点からすれば神話の主人公と変わりない。すでに70年代には、テレビのクリエイティビティは終わったと位置付けられてる事に驚かされる。この本が出た頃テレビって首相の首を飛ばす程度には強力てあったが、バラエティは違ったのか。いずれにせよ神話の登場人物に他ならない存在なのだ。2024/04/13
kinkin
73
1990年頃週刊誌に連載された記事をまとめた本。植木等といえばクレージーキャッツだがグループでなく自身だけで仕事をこなしていたことがわかった。クレージーといえば全盛期のあと多くの映画が作られたがその人気も落ちていった。後にグループとしての活動は減ってゆく。藤山寛美、松竹新喜劇で多くの舞台をこなした。当時たまにテレビで舞台中継というのがあってそれを見た記憶がある。笑いの中にも涙ありといった点がクレージーの笑いとは違う。著者のいつもながら頑固な語り口は30年経った今も連載を持っていることに驚く。2019/04/13
bapaksejahtera
13
本人の認識は兎も角、代表著作と言っても良い「日本の喜劇人」から十数年経って書かれた拾遺作である。それにしてもジャズから出発した植木と根っからの役者であった寛美と対象的で、余り接点のなかった二人が描かれる。植木についてはジャズ喫茶時代は兎も角、私の人生で最もテレビを観ていた60年代の記述が多く、なるほどと得心する処が多い。寛美はその場で当日の狂言を客に決めさせる「リクエスト上演」が記憶に残る。芸と座員への支配力への驚嘆の外、寛美には十吾/天外の既存脚本に頼らざるを得ななかった弱点の産物との指摘に納得できた。2023/05/20
Yasuhiko Ito
7
やっと入手した本書「植木等と藤山寛美 喜劇人とその時代」を数ページ読んだのだけれど、なんだか前に読んだ話だなと思って調べると、去年読んだ新潮文庫「喜劇人に花束を」の元になった単行本だった。文庫の方は本書に伊東四朗の項目を追加したもの。まあパラフィン紙のカバー付きでクラシックな装丁が気に入ったので記念にとっておこう。2018/08/23
kilroy
3
☆1つ。2014年現在、当然ながら読み進むほどに鬼籍に入った人ばかり出てくる。植木等はイメージそのまんま。藤山寛美は内側の猜疑心が劇団経営と本人を苦しめた。なんか独特の影がある感じ。しかし、タイトルの2人より谷啓、森重久弥、渥美清の存在感のほうが気になってしまった。2014/07/13
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