内容説明
いったい、白洲正子という人は、いかにしてかの「白洲正子」になったのか―。初太刀の一撃に命を賭ける示現流・薩摩隼人の度胸を、魂深く受け継いだ人。危うきに遊んだ名人たちとの真剣勝負を通じて、生はもちろん死の豊饒をも存分に感得した人。ものの意匠に何らとらわれることなく、本来の裸形をしかと見すえ続けてきた人。その人が、その人自身の来し方に目をむける時…。
目次
祖父・樺山資紀
ふたりの祖父
隼人の国
富士の裾野にて
母なる富士
故里は遠くにありて
麹町区永田町一丁目十七番地
わが一族
縁ふかき女性たち
あいのて〔ほか〕
1 ~ 1件/全1件
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kaizen@名古屋de朝活読書会
162
父方の祖父樺山資紀伯爵の孫、母方の祖父川村純義も海軍の軍人。14歳でアメリカに留学。能、歌舞伎などの芸術に造形が深い。「韋駄天お正」。白洲次郎が活躍できたのは、白洲正子のおかげに違いないと思い手に取った。白洲次郎の本より登録が少ないのは納得がいかない。白洲次郎の本の発案は白洲正子であり、よく売れるように歴史書にしてあるのがよいのかも。結果としては白洲正子の思惑通りなのかもしれない。日本の歴史を方向づけているのは女性に違いない。失敗と後悔の連続とのこと。おそれいりました。車谷長吉「白洲正子の目」に太刀川静。2013/06/18
どんぐり
84
薩摩藩士の華族を祖父にもつ白洲正子(1910-1998)の自伝。父方の祖父は示現流・薩摩隼人を受け継いだ海軍大将の樺山資紀。母方も同じく海軍大将で、のちに皇孫(昭和天皇と秩父宮)の養育掛りとなった川村純義。夫は、日本国憲法誕生の現場に立ち会い、戦後日本の復興に尽力した実業家の白洲一郎である。まさに華麗なる一族である。白洲正子さんの秀でているところは、文筆を自らの職業とし、能、謡曲の造詣に加えて日本の古典文学、古美術の世界を極めたこと。その生い立ちからアメリカ留学、白洲次郎との出会い、戦中の鶴川村での疎開2020/05/21
ちゃとら
47
西国三十三所巡礼、町田にある武相荘と言う名の旧白洲亭などに興味があり白洲正子さんの本を初読み。葬儀で仇の首を棺に落としたという祖父を持ち、昭和天皇はじめ特殊階級の人の中に育ち、世界を旅して、辛口の批評をする著者。センセーショナルでした。54歳で東京オリンピックにわく日本で、あえて西国三十三所の巡礼に発つ。移動手段も少ない中で、歩いての巡礼。以前、生死を彷徨う病弱だった著者の強さに驚きました。昔の人の底力!2018/11/08
うりぼう
47
ブックオフで購入。白洲正子さんは、明確な自己を持った人で日本人女性には、まれなタイプ。幼少期にいつも一人で居て、食事も一人、遊びも一人、自分と向き合う時間が圧倒的に多かった。それでも尚、豊かな感性と素直な心を持ち続けたのは、タチさんやシゲさんなど素晴らしい大人がいたから。全てを受け入れて、いつも見守ってくれる愛情豊かな環境に恵まれる。人は十分に愛されると自立できる。欧米に暮らしても外国かぶれしないのは、能を始めとする真の日本人の心に触れていたからか。愛されることと本物を体感すること。この二つが人を創る。2012/12/22
ころこ
43
自伝というタイトルだが、著者は自分語りが苦手だ。祖先の出身地をめぐる紀行文になっていたり、人間関係があった相手のことを書いている。黒田清輝の画が何枚も飾っていた家に住んでいるにもかかわらず、その画を突き放して客観的に批評する。彼女の周囲はその時々で変わる自然であり、自然の鏡のように映る彼女の応答に作為は無い。非常に彼女の特質が如実に出ていて、彼女が見えない自伝は読んでいて退屈さを誘う。自分が出ないのはプライドだろうし、自己プロデュースがこの殻から出ないというのだから諦める他ない。2024/10/21