内容説明
ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃―23歳で出家し、1190年2月73歳で寂すまで平安末期の動乱の世を生きた西行。その漂泊の足跡を実地にたどりつつ、歌の読み込みに重点を置き、ゆかりの風物風土の中で味わうことによって自ずと浮かび上がってくる西行の人間的真実。待賢門院への思いなど、謎に満ち、伝説化された歌聖の姿に迫り、新たな西行像を追求する。
目次
空になる心
重代の勇士
あこぎの浦
法金剛院にて
嵯峨のあたり
花の寺
吉野山へ
大峯修行
熊野詣
鴫立沢
みちのくの旅
江口の里
町石道を往く
高野往来
讃岐の院
讃岐の旅
讃岐の庵室
二見の浦にて
富士の煙
虚空の如くなる心
後記
西行関係略年表
著者等紹介
白洲正子[シラスマサコ]
1910‐1998。東京・永田町生れ。薩摩隼人の海軍軍人、樺山資紀伯爵の孫娘。幼時より梅若宗家で能を習う。14歳で米国留学、1928(昭和3)年帰国。翌年、実業家の白洲次郎と結婚。’43年『お能』を処女出版。戦後、小林秀雄、青山二郎らを知り、大いに鍛えられて審美眼と文章をさらに修業。’64年『能面』で、また’72年には『かくれ里』で、ともに読売文学賞を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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けろりん
63
-そらになる心は 春の霞にて 世にあらじとおもひ立つかな-鳥羽院の北面の武士佐藤義清、後の西行が、二十三歳で出家する直前に詠んだ「空になる心」を、「うわの空になって落ち着きのない心」であると白洲正子氏は読み解く。そして、明恵上人の伝記から、最晩年の西行が若き明恵に語る「-我又此の虚空の如くなる心-」の境地に至った道程と歳月の間隙を埋めるため、西行の足跡を克明に辿り、その歌が詠まれた心の裡に迫る。桜を愛する心が、そのまま厭離穢土、欣求浄土の祈りへと昇華されて行く吉野山の絶唱。魂の行方を追求し続けた詩聖の旅。2023/09/13
たま
63
正直なところ、私には西行の歌は意味が良く分からないことが多々ある。白州さんの解説によれば専門家間でも意見の相違があるらしく、巻頭の「そらになる心は春の霞にて 世にあらじともおもひ立つかな」も同じ。白州さんは【定まらぬうわの空】と取り、それがこの西行論の基本となる。辻邦生『西行花伝』の西行は辻氏の美学の具現のようだが、白州さんの西行は自然体。いずれせよ西行の魅力は彼の人生と歌の交錯、融合にあるのだろう。白州さんの西行論は西行の足跡を追う記録でもあり、崇徳院の香川から奧州平泉まで、土地の紹介も楽しい。2023/03/21
こきよ
61
全てを捨てて漂泊しても尚、捨てきれぬ業が我々の前に歌として現出しているのだ。2016/07/02
Major
50
元は北面の武士にして花鳥風月に自分の生き様と思ひを自由奔放なリズムで歌いこんだ天才歌人西行。この歌人についての評伝や論考は枚挙に暇がない。しかし、待賢門院に対する思慕・恋・敬愛が重なり合った西行の焦がれる思いに寄添って、西行の歌の文字面の吟味だけではなく自ら西行の旅の足跡及び詠歌の軌跡を追体験し、説得力ある解説・論考を試みている点において他の著作に抜きん出ていると思う。さすがに女性ならではの繊細な恋心への理解が深いと思った。2020/02/02
Gotoran
48
23歳で出家し、1190年2月73歳で寂すまで平安末期の世を生き、出家人として方々を旅しながら多くの歌を残し伝説化された歌聖・西行。多くの謎に満ちた西行の足跡を辿りながら著者独自の西行像に迫る論考はさすがに説得力がある。西行を出家人・宗教者ではなく数奇者と捉えて、歌論のみならず、当時の時代背景などにも言及して、総合的に西行論が展開されている。著者の西行の歌を捉える感受性の高さに感服した。とても読み応えがあった。 2022/12/10