内容説明
チェリストから指揮者へ転身し、やがて小沢征爾、藤原真理ら世界的音楽家を育てあげた斎藤は、その頑固な性格と鬼気迫る指導で誰もが恐れをなした天才的教育者だった。家庭内の問題や周囲との対立をよそに、子供の音楽教育にも情熱を注いだ執念の源とは。戦前戦後の音楽界の動向を描きつつ彼の内面に迫った感動の評伝!日本エッセイスト・クラブ賞、ミュージック・ペンクラブ賞受賞。
目次
第1章 斎藤秀雄の育った家
第2章 演奏家になる夢と希望
第3章 戦火のなかで
第4章 「子供のための音楽教室」
第5章 嬉遊曲、鳴りやまず
著者等紹介
中丸美絵[ナカマルヨシエ]
1955(昭和30)年、茨城県生れ。ノンフィクション作家。慶応義塾大学文学部英米文学専攻卒業。日本航空勤務後、エッセイ他の執筆をはじめる。’97(平成9)年『嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯』で第45回日本エッセイスト・クラブ賞、第9回ミュージック・ペンクラブ賞を受賞。独、米、イスラエルなどの海外生活から、世界に通用する日本人への関心を高め、評伝の題材としている
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- 評価
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感想・レビュー
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うな坊
3
斎藤秀雄が情熱的な人だったことがよくわかる。桐朋が今も音楽界において君臨するのは彼の業績だが、直弟子と比較して、孫弟子・孫孫弟子らがやや小粒・優等生になっている気がする。韓国・中国から優秀な奏者が続出しているのをみると、彼は奏者を育てたが、指導者を育てられなかったのではないか。あまりに情熱的であったために、音楽教育界で独自の道を歩むことになり、幅の広い活動にはならなかったか。なお、著者の日本語は下手。本人のまねをすれば、気が遠くなるほど下手。「卯七」は「うひち」ではなく「うしち」では?江戸っ子であっても。2011/02/15
JS
1
いまのご時勢ではこういう厳しい指導者はなかなか出てこないでしょう。お父様の秀太郎氏の人生にも大変興味があります。2016/03/15
ゆうちゃん
1
音楽(アンサンブル)は音を合わせるのでない、心を合わせて演奏するのだ。心で唱え。ぼんじには気の遠くなるような見地から音楽理論を研究され、死の間際まで教え子の音楽教育をやめなかった斎藤氏。その音楽への執念は世界的にも稀有だった。今の私たちが日本で素晴らしいクラシックを聴ける、または親しむ土台がらあるのは斎藤氏あってのことのように感じる。本書を斎藤氏の人間的な部分にスポットライトをあてて纒めらた著者の力量に感嘆。いや〜、凄い。2016/01/17
Kunio Hanaoka
1
世界の小澤を始め、飯守泰次郎、久山恵子、秋山和慶、尾高忠明を育てた斎藤秀雄。遅刻すると「親が死んだのか」、手を手術して練習休むというと「片手でできることがある」など、その厳格さは類例がない。しかし、「音楽を利用して自分がいい格好するのに使うな」「有名になるために音楽をだしにするな」と、音楽に対する謙虚さや愛情は人一倍だった。今もこんな人いるのかしら?2014/02/18
Decoy
1
あまりにも強烈な個性。私は受け入れられない。結局、斎藤のやり方は、日本がクラシック音楽を受容する初期の段階でしか有効でなかったと思う。彼の没後、真に世界的な音楽家は、その門下から一人も輩出されていないのでは?2012/11/17
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