内容説明
明治12年、福井県に生まれた山川登美子は与謝野鉄寛主宰の「明星」に参加、与謝野晶子と共に名花二輪と謳われる。登美子はその才能と美貌を“君が才をあまりに妬まし”と晶子に詠ませながら、鉄寛への恋も、歌もあきらめ、親の定めた縁談に従う。―鉄寛・晶子の強烈な個性の陰でひっそりと散っていった登美子のあまりにも短い人生。同郷の歌人への深い共感と、愛惜をこめて綴る評伝小説。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
双海(ふたみ)
32
父に従って望まぬ結婚をした登美子は結果として夫から結核を染されることになる。鉄幹を諦め、歌を諦め、病に肺を蝕まれる登美子。晶子が鉄幹の指導の下に「明星」の女王としての名声をわがものとしてゆく様をただ傍観するしかなかった。登美子は思う、晶子は知るまい・・・この苦しみを。而してなお嫉妬に狂う晶子。登美子は恨み言を残すことなく29歳の春しずかに世を去った。「をみなにて又も来む世ぞ生れまし花もなつかし月もなつかし」登美子と云う可憐な一輪の花は近代短歌史上の名花であると私は信じる。2016/01/03
kaoriction@本読み&感想リハビリ中
25
与謝野鉄幹主宰「明星」で、与謝野晶子と共に名花二輪と謳われた登美子。鉄幹への秘めたる想い。迸ることば。微妙な三角関係。しかし、恋も歌も諦め親の定めた結婚をする。何だろう、登美子の物語であるのに晶子に圧倒され、晶子に強烈な興味を覚えた。その才能も生き方も。が、その晶子に“君が才をあまりに妬まし” と詠ませた登美子は静かなる脅威であり、強靭な心の持ち主だったのかも。28歳の若さで病いに死する登美子の最期は、あまりにもせつなく哀しい。「十年前いまの我が背を師とよびて二人はともに歌ならひにき」晶子の歌が胸を打つ。2017/08/21
キムチ
12
活き活きした、光さざめくようなレビューを読み、この本を捲ると何やら時代錯誤的な空気。 筆者は好きな津村氏。 「日本海、内日本的」な陰影を感じる。取り上げている登美子は晶子と比べるとあらゆる点で対照の妙を見せる。 そういや 私も陰に、月光に、清冽さに親近感を抱くものを内包しているのかも。 薄い1冊だが明治中期から末にかけての文壇の薫り、今ではひっそりした若狭の小都市 小浜の空気を感じさせる。 当時、死病とすら言われた結核に心ならずも朽ちた登美子。彼女が憧憬した体臭にむせかえる鉄幹の抱擁を夢想してしまう2013/10/11
バーベナ
2
与謝野鉄幹を晶子と共に慕いあい、鉄幹は登美子を「白百合」晶子を「白萩」と呼んだ。やがて登美子は意に染まぬ結婚をすることになり、「紅き花みな友にゆづり」と詠んだ後、わずか29歳で亡くなった。静かな情熱のなかに、芯の強さが垣間見られる登美子の面影からしばらく離れられなさそう。2011/04/24