内容説明
紀元324年、ライヴァルのリキニウスを敗走させ、ただ一人の最高権力者として内戦を勝ち残ったコンスタンティヌス。帝国全体の一新を企て、自らの名を冠した新都コンスタンティノポリスを建設。帝国の絶対専制君主として君臨したコンスタンティヌス帝は、旧来の安全保障の概念を放棄し、キリスト教を特権的に振興。ローマをまったく別の姿に変えてしまう。それは中世のはじまりの姿だった―。
目次
第2部 コンスタンティヌスの時代(承前)―紀元三〇六年‐三三七年(唯一人の最高権力者;新都建設;指導層の変貌;軍の変貌;富の格差;家庭内悲劇)
第3部 コンスタンティヌスとキリスト教(雌伏の時期;表舞台に;「ミラノ勅令」;キリスト教振興策;ニケーア公会議;「インストゥルメントゥムム・レーニ」(Instrumentum regni)つまりは「支配の道具」)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
402
「ミラノ勅令」にはじまったコンスタンティヌス帝のキリスト教への肩入れは進む一方である。たしかに皇帝の正当性は「元老院および市民」からよりも絶対的権威である「神」から授けられる方が(この時代にあっては)より説得力を持ったかもしれない。そして、この発想がやがて「王権神授説」を生み出していったのだろう。この意味でもローマ帝国はもはや消滅したとの見方には一応は肯けるものもある。古代社会を席巻したローマ帝国の時代から、時は中世に移行していったのである。2020/11/13
ケイ
97
リキニウスとの戦いに勝利したコンスタンティヌスは、首都を移し、コンスタンティヌスと名付ける。ローマの元老院は残ったが、新首都にも元老院機能はあり、旧元老院は有名無実となりローマ帝国のあり方自体がかわる。なぜ首都を移したが、なぜキリスト教を保護したのかは現在もよくわかっていない。キリスト教側が彼を保護者としたために、その後の歴史で歪めた資料がたくさん存在しているからか…。ニケーア公会議を開催して、キリストを神と精霊と同位とする三位一体説を教義としたことがその後の教会の歴史に与えた影響は大きい。2014/12/03
優希
72
コンスタンティヌスは唯一の最高権力者として勝ち残ったようです。帝国を一新するためにコンスタントノポリスを建設し、絶対専制君主として台頭することになります。キリスト教を一神教として振興することで、今までのローマ帝国を全く別のローマに変えてしまうのは、歴史的に見て、新たな時代の始まりと言えますね。中世はここから始まるのです。2018/11/12
財布にジャック
70
このシリーズ初期はすらすらと楽しく読めていたのに、今はもうページをめくるたびにしょんぼりしてしまいます。まさに題名どおり「最後の努力」!ここで読むのをやめちゃうのは嫌だし、なんとか頑張りました。ローマを全く別の形に変えてまで、ローマを存続させたい気持ちは解りますが、見ていてホントに痛々しいです。それでも、最後まで見届けたいので、あと残り6冊も読みたいと思います。2011/11/24
KAZOO
66
この時代はいよいよコンスタンティヌスの時代です。ローマから首都をコンスタンティノポリスに移し、キリスト教を公認したということでこの時代は本当に歴史の分かれ目となったのでしょう。民衆はキリスト教に救いを見出すことで不満を抑制したということもあるかもしれません。仮定の話ですがこの期を境として中世という時代に入っていくことになり宗教中心の世界になって近代化が遅れたのかもしれません。2015/05/04
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