出版社内容情報
騙し、騙されるのに、なぜか幸せだったりする。根戸川の下流にある浦粕という漁師町を訪れた私は、沖の百万坪と呼ばれる風景が気に入り、このうらぶれた町に住み着く。言葉巧みにボロ舟「青べか」を買わされ、やがて“蒸気河岸の先生”と呼ばれ、親しまれる。貧しく素朴だが、常識外れの狡猾さと愉快さを併せ持つ人々。その豊かな日々を、巧妙な筆致で描く自伝的小説の傑作。
山本 周五郎[ヤマモト シュウゴロウ]
著・文・その他
内容説明
根戸川の下流にある浦粕という漁師町を訪れた私は、沖の百万坪と呼ばれる風景が気に入り、このうらぶれた町に住み着く。言葉巧みにボロ舟「青べか」を買わされ、やがて“蒸気河岸の先生”と呼ばれ、親しまれる。貧しく素朴だが、常識外れの狡猾さと愉快さを併せ持つ人々。その豊かな日々を、巧妙な筆致で描く自伝的小説の傑作。
著者等紹介
山本周五郎[ヤマモトシュウゴロウ]
1903‐1967。山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926(大正15)年4月『須磨寺附近』が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。『日本婦道記』が’43(昭和18)年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Willie the Wildcat
81
蒸気河岸の先生。昭和初期の漁村の原風景。老若男女の下世話な好奇心も生々しい欲の交錯。そんな喧騒中、心身の空間をもたらすのが「青べか」。その”再生”に対する村人の変化が意味深。象徴は、幸山船長の”語り”。思わず微笑んだのが、『長と猛獣映画』。大人げないだろう?!。『どくを飲むと苦しい』は、コントのオチを地で行った感。迎えた『30年後』。「青べか」の顛末は気になるな。月夜の踏みや鱸拾い、そして沙蚕。ググって学びました。但し『SASE BAKA』だけは、最後まで不明。因みに池辺釣氏の名前、久しぶりだなぁ。2022/05/24
NAO
69
【2021年色に繋がる本読書会】田舎の漁師町に暮らす作家の日常。中でも「ごったくや」は、朴訥そうな顔で平気で人を騙し陰では馬鹿にして笑っているこの地の住人たちの性格、暮らしぶりがよくわかる話。「ごったくや」といわれる飯屋の女たちは、カモだとみてとると、あの手この手で金をふんだくる。それがいけ好かない男なら、さらに容赦ない。土地の人間ではない私にまで「夕飯用意しないで待ってろ」と伝言が来るし、翌日には、ふんだくった金で遊んできた女たちの東京土産が届く。してみると、蒸気河岸の先生は嫌われ者ではなかったようだ。2021/09/09
クプクプ
67
山本周五郎の本は初めて読みましたが、最初に最高傑作を読んでしまった感があります。千葉の浦安が舞台の連作短編集です。主人公の「私」は20代の男性で、浦安に移り住み、べか舟を買わされます。短編「人はなんによって生くるか」私は釣りがうまくて、簡単な仕掛けで本格的な釣り師に勝ってしまって困る話。「土堤(どて)の夏」若い女性が銭湯の客寄せになる。「経済原理」私が子供たちからフナを買ってしまい子供たちに駆け引きの味を覚えさせてしまう、その結末は。「家鴨(あひる)」。女房に暴力を働いた男性が反省する話。(つづく)2020/02/18
seacalf
54
今から95年も前、山本周五郎が昭和3年から翌年まで暮らした浦安。当時は広大な荒地が広がる小さな漁師町だったらしいが、そこに住まう人々の赤裸々な生き様が描かれている。現代の我々は澄ました顔して生活しているが、ひところ昔は日本中で荒っぽく猥雑なやりとりが当たり前だったのかもしれない。民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』は目を見張るほど面白かったが、今作はそこまでの高揚感は得られなかった。作中の「私」と登場人物達に距離を感じるからか。とはいえ、人々の可笑しさや悲哀が生々しく描かれ、たっぷりと堪能できる作品だ。2023/12/17
ソーダポップ
44
著者の若き日の体験をありのままに語った「青べか物語」は、私小説風な趣で綴られています。裏粕町(実際は千葉県浦安市)に住む住民が持ち寄った多くの情報から成り立っています。ごったくや(大衆食堂)で働く女たちであったり、そこに出入りするなあこ(あにい)たちであったり、計算高く油断ならない少年たちであったり、また人のいい夫妻であったりします。彼らこそが物語の素材の収集者であり、かつ配信者であって、収集された情報からいわば、裏粕の住民との合作であります。人生の寂寥感と虚無感が描かれた、その全容を次第に表す作品でした2021/12/03