内容説明
藩主の命によりローマ法王への親書を携えて、「侍」は海を渡った。野心的な宣教師ベラスコを案内人に、メキシコ、スペインと苦難の旅は続き、ローマでは、お役目達成のために受洗を迫られる。七年に及ぶ旅の果て、キリシタン禁制、鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは―。政治の渦に巻きこまれ、歴史の闇に消えていった男の“生”を通して、人生と信仰の意味を問う。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
遥かなる想い
172
一人の無名の「侍」を通して、ここでもキリスト教・宗教を遠藤周作の視点で描いている。支倉常長が藩主の指示でローマ法王のもとに訪れるが、帰国すると待ちかねていたのはキリシタン禁制であり..時代のうねりの中に消えていく「侍」を描く遠藤周作の目は優しく、救われる思いがする。
ehirano1
125
タイトルに納得がいきませんwww。「その烈宣教師、ベラスコ」、「悲しみの烈宣教師、ベラスコ」と何処かで聞いた本のタイトルがしっくりくるのではないかと思いましたが、能々振り返ってみると、ベラスコも長谷倉常長と同じ種類の「侍」だったのではないかと思いました。そうであれば、この「侍」というタイトルの内在性理論に感服させられます。2022/03/25
優希
124
人生と信仰、また日本人にとっての信仰の意味を考えさせられました。藩主の命令でローマ法王に謁見するために海を渡った侍は、その苦難の旅を続け、ローマにたどり着いたと思えば、洗礼せざるを得ない状況に追いやられます。本当に神を信じてではなく、形式的な洗礼とはいえキリシタンになった侍を待ってたのがキリシタン禁制というのが皮肉だと思わずにはいられません。政治と歴史の狭間で翻弄された人生を見たような気がしました。何とも苦しい思いにならざるを得ません。2017/02/10
ehirano1
84
「神学生の時から、眠る時、彼は自分の手首を縛って横たわる習慣を持っていたが、それは彼の頑健な体を襲ってくる烈しい性欲に負けないためでもあった(p64)」。これは、著名なとある作家が、青年期の抑え難い性欲について、就寝時に寝間着を前後ろに着て性欲を抑えていたと言及されていたことを思い出しました。2023/10/14
ehirano1
84
長谷倉常長が受けた沙汰のシーンには言語化できない感傷が込み上げて来て、ただただ落涙しました。彼はどうすれば良かったのでしょうか?松木の進言を受け入れる能力が必要だったのでしょうか?しかし培われた自身のアイデンティティ―とも言うべき「侍」を全否定することは容易ではなかったという言葉で片づけられるようなものではないと思います。しかし、一方で松木はそれを受け入れた事を鑑みると、長谷倉常長が思考停止に陥ったと判断されても仕方ありません。なんと残酷なことよ・・・。2022/10/21