内容説明
文久2(1862)年9月14日、横浜郊外の生麦村でその事件は起こった。薩摩藩主島津久光の大名行列に騎馬のイギリス人四人が遭遇し、このうち一名を薩摩藩士が斬殺したのである。イギリス、幕府、薩摩藩三者の思惑が複雑に絡む賠償交渉は難航を窮めた―。幕末に起きた前代未聞の事件を軸に、明治維新に至る激動の六年を、追随を許さぬ圧倒的なダイナミズムで描いた歴史小説の最高峰。
著者等紹介
吉村昭[ヨシムラアキラ]
1927(昭和2)年、東京日暮里生れ。学習院大学中退。’66年『星への旅』で太宰治賞を受賞。その後、ドキュメント作品に新境地を拓き、『戦艦武蔵』等で菊池寛賞を受賞。以来、多彩な長編小説を次々に発表。周到な取材と緻密な構成には定評がある。芸術院会員。主な作品に、『破獄』(読売文学賞)、『冷い夏、熱い夏』(毎日芸術賞)、『天狗争乱』(大仏次郎賞)等がある
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感想・レビュー
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yoshida
127
上巻は生麦事件勃発から長州の攘夷、薩英戦争直前まで。生麦事件の詳細を知る。島津久光の大名行列に騎馬で遭遇し乗入れたイギリス人達。日本の文化格式を知らぬ彼等は下馬せず行列を逆行。遂に久光の駕籠近くに至り危険を感じ後退しようとして混乱。狼藉が過ぎ斬られる事態となる。そこには日本の文化や仕来たりを知ろうとしないイギリス人の傲慢もある。生麦事件の結果、幕府の権威は更に落ちる。薩摩と長州は現時点での攘夷が不可能と身を持って知る。諸侯連合の幕府を倒し、天皇制による統一国家樹立の動きが加速する。歴史の転換点を知る力作。2021/09/25
ケンイチミズバ
108
国力を高めて一致団結出来るまではとにかく過激な攘夷派を抑え込もうと奔走した久光。しかし、こともあろうかその家臣が外国人を殺傷するあまりの皮肉。大藩薩摩の威厳もあり、その大名行列は長さがおよそ1キロにも及ぶ。電車なら先頭車両が次の駅に到着してるのに最後尾はまだ手前の駅だよみたいな。街道筋への連絡の不行き届き、仕来りを理解していない外国人と攘夷か親幕かで割れる薩摩が直接遭遇してしまう運命のいたずら。歴史ってすごい。どちらの側にも頭に血が上って好戦的な者と冷静に判断し事をこれ以上荒立たせないよう動く者とがいた。2018/07/09
読特
73
「法に従ったとはいえ、殺すのはよくない」「事に付け込んで列強が攻めにくる」。人道面、政治面から薩摩側を責めたくなりがちだ。当の藩も嘘の言い訳をし、暗に非を認めている。ただ、当時の国際世論はあながち一方的でもない。NYタイムズは被害者側の無礼さこそを断罪している。攘夷は無謀だ。しかし、その後の歴史が証すように抵抗することで独立が保てた。生麦事件、下関戦争。どんな争いにも多面性がある。幕府、薩摩、長州、列強。今のところでどこにも肩入れして読んでいない。後編、薩英戦争。新たな視点が得られることを期待する。2022/10/01
金吾
64
幕府の地位が低下している時に起きたタイムリーな事件だと思います。もう少し前ならば薩摩藩や朝廷の態度も全然違っていただろうにと思いました。間の幕府役人たちの苦悩はジンジン感じました。2025/03/14
大阪魂
60
1862年、英国商人が生麦村で薩摩藩の大名行列にでくわし馬が暴れて行列乱したことから1人斬り殺され2人重傷、当然イギリスはじめ各国は幕府と薩摩藩に賠償請求と下手人の処刑を強要…一方朝廷では攘夷論が沸騰、63年5月10日もって開国取りやめ外国人追い払えとの勅旨…侵略戦争ありうる超難題に、権威低下してた幕府は外国、薩摩藩、長州藩、朝廷対応に右往左往…幕府の責任者は逃げまくったりしてたけど覚悟決めて何度も交渉に行く人たちや戦争に備え西欧に学んでしっかり準備する人たちも!さあ下巻で薩英戦争、そして明治へ大転換!2024/07/30