内容説明
「合戦の名乗り合いとでもいう意味で、私の略歴をおしらせします」―。三島は学習院時代、文芸部の先輩・東文彦に宛て多数の手紙を書き送った。「花ざかりの森」を執筆中だった三島は創作の悩みを書き連ね、東と切磋琢磨し合う。加えて戦時下の話題や鋭い社会批判を真摯に綴る三島。しかし、書簡を通しての交流は、東の死をもって終わる。天才の刻印の押された、瞠目すべき書簡集。
目次
昭和十五年
昭和十六年
昭和十七年
昭和十八年
昭和十九年
著者等紹介
三島由紀夫[ミシマユキオ]
1925‐1970。東京生れ。本名、平岡公威。’47(昭和22)年東大法学部を卒業後、大蔵省に勤務するも9ヶ月で退職、執筆生活に入る。’49年、最初の書き下ろし長編『仮面の告白』を刊行、作家としての地位を確立。主な著書に、’54年『潮騒』(新潮社文学賞)、’56年『金閣寺』(読売文学賞)、’65年『サド侯爵夫人』(芸術祭賞)等。’70年11月25日、『豊饒の海』第四巻「天人五衰」の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。ミシマ文学は諸外国語に翻訳され、全世界で愛読される
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感想・レビュー
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双海(ふたみ)
12
蓮田善明、保田與重郎の話題が出てくるとどきどきしました。2014/09/27
モリータ
8
宮古島旅行の往路で持っていった文庫本を失くしソワソワしていたところ、同行した高校時代の国語の先生がお持ちの本の中から貸してくださった。三島由紀夫、しかも書簡集は自分ではなかなか読まないので、旅先で、お世話になった人との縁も感じさせる出会いとなった。◆三島が学習院中等科4年(15歳)から高等科の3年間を経て19歳になるまでの書簡のうち、雑誌『赤絵』の同人で文学的盟友であった学習院の先輩、東文彦(徤)宛のもの。◆互いの作品の感想や周りの作家批評などのほか、23歳で夭折した東に対する三島の弔詞がハイライト。2018/10/10
些か/isasaka
5
三島由紀夫から東文彦(東徤)への、書簡のみが収録された本。三島はこの頃は詩に傾倒しているように見える。(花盛りの森発表時期でもあるが)詩はあまり残っていない作家なので、貴重な資料でもある。書簡の言葉の節々に配慮がありつつも親しみやすさがあり、やはり三島は凄いなと感心した。『璞(あらたま)のやうに惻々と胸にふれる心理の表出』という表現が好きだ。この書簡集を読むと、三島がここまで褒め称える東文彦の作品はどのようなものか知りたくなる。東氏は作品が1冊分しかなく、つくづくこういった作家は夭折が悔やまれる。2020/07/22
aizum
2
日を開けず交わされる書簡。三島由紀夫が慕った東健の書く文章はどんなものだったのだろう2010/08/24
soupy
1
十代の思想への帰郷 にある、三島文学の源泉は 静けさ だという意見に凄く納得した。それにしても十代で親友を無くしたというのは悲しい。2016/02/06