出版社内容情報
一万人を看取った男が南の楽園で綴った命。
少子高齢化社会のモデル・宮古島でこそ、このシステムは生きる! ――そう考えて、生まれ故郷に「ドクターゴン診療所」を開いた青年医師の、感動的な自伝ノンフィクション。 地道に島内外を歩き、電子カルテなどの機器を駆使し、効率的な訪問診療&看護システムを実現。患者との距離を縮めることに成功した。はだしにサンダル、かりゆしウエア(沖縄のアロハシャツ)で、島の古老の家を一軒づつ回り、そこでノートパソコンを開く。 「これでなんでもわかるさぁ」。 東京女子医大の救命医時代には、とにかく延命ばかりを手がけた。その本人が、今、静かに看取ることをモットーに命の輝きを見つめている。
内容説明
医者には、必ず救わなければならない命と静かに看取るべき命がある―。「1万人を看取った男」が南の楽園で見つけた命の輝き。
目次
第1章 電子カルテで島に乗り込む(二十三時の救命救急センターで;緊急オペ開始 ほか)
第2章 おじいやおばあに「医者のご用聞き」(「俺ってほんとに医者だっけ?」;パソコンは魔法の鏡!?「これで、何でもわかるさあ」 ほか)
第3章 「完全に看取る」ということ(宮古島で初めて行った在宅死亡診断;自宅で逝きたい人、救急車を呼んでしまう家族 ほか)
第4章 命の重さは平等か(学歴三流の自分が救命救急を志した瞬間;東京女子医大で「職人」になる ほか)
第5章 宮古島で考える「クオリティ・オブ・ライフ」(おばあの幸せは朝六時の散歩;ひとり、またひとり、同志は集まる ほか)
著者等紹介
泰川恵吾[ヤスカワケイゴ]
1963(昭和38)年7月25日、沖縄県宮古島(平良市)生まれ。医療法人白川会理事長。ドクターゴン診療所初代院長。東京女子医科大学非常勤講師。東京都立秋川高校(全寮制)卒業。一年間の浪人生活の後、杏林大学医学部に入学。卒業後、東京女子医科大学第二外科の研修医となる。医局員として東京女子医大教命救急センターで日々、救命医療に従事。1993(平成5)年、同センター救命ICU医長(チーフ)に。高気圧酸素治療チーフ兼任。のち、関連病院の牛久愛和病院に救急科医長として赴任。その間、ロンドン、ブリュッセルなど海外の学会で、臨床データに基づく研究成果を発表し、高い評価を受ける。1997(平成9)年9月、故郷の宮古島に戻り、平良市内の伊志嶺医院院長として地域医療を開始。のち、宮古島南部の上野村に「ドクターゴン診療所」を開設。本格的に、在宅医療システムを充実させる。その後、2000(平成12)年、医療法人白川会を設立し、理事長に就任。2004年5月現在、看護師六名をはじめ約一〇人のスタッフとともに、地域医療の充実を目指して日夜奮闘している
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きぃ