出版社内容情報
太平洋戦争末期、鯨部隊で歌われた「南国節」。極限の戦場で兵たちは歌に救われていた。戦後、『南国土佐を後にして』を国民的ヒット
内容説明
「異様に熱い何かが、まるで波が打ち寄せてくるように、何度も何度も私に迫ってきました」ペギー葉山は“歴史的瞬間”をそう語った。中国で戦った歩兵第236連隊(鯨部隊)の「望郷の歌」は、姿とかたちを変えて今も生き続けていた。運命という言葉だけでは表わせない「奇跡の歌」が辿った道―。渾身の取材で描き出す感動ノンフィクション。
目次
第1部 苦難を越えて(鯨部隊の最前線へ;壮烈な戦闘;不思議な力を持った歌;鯨と豹;大陸から帝都へ)
第2部 勇気と希望の歌(数奇な運命を辿った歌手;異彩を放つ「音楽家」;成長するジャズ歌手;異色の音楽プロデューサー ほか)
著者等紹介
門田隆将[カドタリュウショウ]
1958(昭和33)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。作家・ジャーナリストとして、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなど幅広い分野で活躍している。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
それいゆ
54
「南国土佐を後にして」がヒットしたころ私は小学生で、4年生のときに皇太子殿下のご成婚パレードがあり、我が家にもテレビが届きました。学校から帰ると玄関の部屋にテレビが置かれていて、村田秀雄が「王将」を唄っていたことはいまだに覚えています。「ドレミの歌」はそのころ歌詞がなくても歌える唯一の曲であり、「学生時代」は青年期に歌声喫茶に行ったときなどみんなで歌っていました。「ウエストサイド物語」や「サウンド・オブ・ミュージック」はミュージカルというよりも劇場で感動して観た映画でした。ペギー葉山は偉大な歌手ですね。2017/09/06
へくとぱすかる
53
生きて帰ることを望み、泥沼の戦争の中で、兵士自身の中から自然発生的に生まれ、口ずさむことで、生きる勇気を与えてくれた歌。まさに「奇跡」としか言いようがない。戦後のペギー葉山によって歌われて知られるようになったエピソードも奇跡である。ひとつの歌をめぐって、こんなにも感動的な物語があろうとは、想像することも難しい。読み始めたら止まらず、まさに一気読みした。2017/12/06
fwhd8325
37
ペギー葉山さんの訃報は、あまりに突然で、亡くなる直前までラジオにも出演されていたので、いまだに亡くなられたことが信じられない気持ちです。ペギーさんの人気を決定づけた「南国土佐を後にして」を巡るドラマが中心です。個人的には、もっとペギーさんのことが知りたいと思いますが、奇跡の歌と言われた「南国土佐を後にして」の不思議な因縁は、実に重厚なドラマでした。2017/10/22
ヒラP@ehon.gohon
24
「兵隊さんに愛されたヒョウのハチ」、絵本の「ヒョウのハチ」の先にこの本がありました。高知から中国出兵した鯨部隊と、ヒョウのハチとの物語、部隊で歌い継がれた「南国土佐を後にして」、その歌で歌手として名を残したペギー葉山、高知を根幹にして三つ巴の絡みに宿命的なものを感じました。 2020/01/21
reo
19
戦時中、中国人から自分たちの村に大豹が出没し人も襲われ難儀しているとのこと。そこで第三小隊の成岡正久小隊長は兵隊の中から有志をつのり4人で豹退治に出かけた。牛頭山の大岩の割れ目の中に豹の巣を見つける。そこに火を放つと2匹の豹の赤ちゃんがヨチヨチと出てきた。この中に1匹がこの部隊のマスコットとして可愛がられた”ハチ”である。そしてこの部隊が土佐出身の兵隊で構成されていた通称”鯨部隊”そしてこの部隊で唄い継がれたのが後年ペギー葉山が唄い大ヒットした「南国土佐を後にして」という唄。著者の地元愛に溢れる一冊です。2019/07/10