出版社内容情報
命をかけてビザを発給し、六千人をこえるユダヤ人難民を救った外交官・杉原千畝。戦後、イスラエルをはじめ多くの国から表彰を受け、世界中の教科書で取り上げられる、国際化時代の旗手、杉原の決断の人生を描く。
外交官・杉原千畝は、1940年リトアニアで、ナチスの迫害から逃れようとしたユダヤ人難民に、人道的立場から独断でビザを発給し六千人を超える人々の、尊い命を救いました。戦後、独断の責を問われて外務省から解職。しかし、イスラエル政府から贈られた『諸国民の中の正義の人』賞を始め、西欧諸国から多くの表彰を受けました。もしあのとき、杉原が外務省の命令通り、ビザ発給を拒否してユダヤ人を見殺しにしていたら、戦後日本は、世界中の国から猛烈な非難を受けていたでしょう。杉原は、ユダヤ人の命と同時に日本をも救ったのです。人権と国際協調の時代の新たな旗手として、杉原千畝は、世界中の教科書で大いに取り上げられることでしょう。
目次
序章 命を救うビザ
第1章 海の向こうの国へ
第2章 若き外交官
第3章 命をかけた決心
第4章 28年ぶりの再会
著者等紹介
渡辺勝正[ワタナベカツマサ]
1937年生まれ。杉原千畝研究会代表
あべさより[アベサヨリ]
少女コミック誌から、児童雑誌まで幅広く活躍。北海道の大自然の中で仕事を続ける
稲垣収[イナガキシュウ]
1962年生まれ。フリー・ジャーナリスト
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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- 評価
京都と医療と人権の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Aya Murakami
85
図書館本 名前と大勢のユダヤ人の命を助けたということだけは予備知識としてあった人物。 美談の裏で外務省とのトラブルで外交官をやめたという悲しい歴史が…。2022/03/24
ふじ
19
今更ながら詳しく知らなかった外交官について学習漫画で。その名誉が回復したのは2001年とのことで、その時はもはや小学生ではなかった。やはり学び続けることは大事。第二次大戦中に、ユダヤ人の亡命を助けるべく国に逆らいビザを出し続けた外交官。戦後は外交官をクビになるも、弁明することなく、評価されることもなく亡くなった。「今どうすべきか」を、決まりのような狭い範囲だけでなく、人道、正義に照らし合わせて大局的に考えられる大人が、果たしてどれだけいるか。自分の胸にも問いかける読後です。2023/07/20
Nobuko Hashimoto
13
杉原千畝月間。いつ頃から青少年向けの本や教材に千畝氏が取り上げられ、どのように描かれているかを検証すべく分析中。いかにも現代のマンガチックな表現に、うわぁと思ったが、これがなかなかバランスよくまとまっていた。巻末に資料や解説も載っているし、このコマのこの絵は、あの史料に基づいているなとわかるものもあった(日本人がユダヤ難民にリンゴを配っている絵。神戸で実際にそういうことがあった)。子ども向け伝記マンガおそるべし。ということは、他のコマのちょっとした表現も、出所が確かな史料がありそう。また精査してみよう。2017/06/10
如月
12
「苦慮、煩悶のあげく、わたしはついに人道博愛精神第一という結論を得た。」杉原千畝手記より カウナスでの杉原千畝氏の命がけの選択をするまでの苦悩が、感じられた遺された言葉。 勇気ある行動に頭が下がる。2015/08/16
えすてい
11
杉原千畝の功績について今更この私があれこれ言うことはこのコメントではあえて避けるが、戦後日本に帰国して外務省を首になった直後、三男が小児がんで急死。杉原家は失意のどん底にいた。しかもその三男はカウナスで生まれたので日本を知らないでいた。戦後イスラエルから「再発見」されるまで長い沈黙を貫いていた杉原にとって、「戦後」とは一体何だったのだろう。
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