出版社内容情報
伝えたい少年原爆体験記。11歳のヒロシマ
広島に原爆が落とされたのは、1945年8月6日でした。11歳の米澤鐡志さんは、爆心から750メートルの電車内で母親と一緒に被爆します。母親は9月に亡くなり、母乳を飲んでいた1歳の妹は10月に亡くなります。
この本は、米澤少年の目で見た、8月6日その日のことと、その後何が起こったか、という記録です。
ブラウスが突然発火して、体が焼け始める女性、皮膚が布地のように垂れ下がって、幽霊のように見えた人たち、防火水槽に飛び込んで亡くなっている赤ちゃんを抱いた女性、川を流れていくたくさんの死体。
11歳の少年が見た光景を、読者も知ることになります。
「どんなにつらい記憶でも、知らないよりは知ったほうがいいと私は思います。本書は読むのも苦しい内容ですが、きっと未来のための知恵を与えてくれるでしょう」(京都大学原子炉実験所 小出裕章さんによる「はじめに」より)。
原爆や核についてお子さんと考えるとき、最適の1冊です。
【編集担当からのおすすめ情報】
米澤さんは「語り部」として、被爆体験講話を全国各地で行っています。爆心地1キロ以内での体験の迫力に、米澤さんの「語り」を聞いた人たちは、誰かに伝えなくては、という思いにかられてしまうのだそうです。
これまでたくさんあった、本にまとめる誘いをすべて断ってこられましたが、
2011年3月の東日本大震災での福島原発の事故と、ふるさとを追われた福島の人々を見て、考えが変わり、広島を体験して生き残った自分の役割として、体験を本の形に残して、これからも多くの人に読んでもらいたい、と思ったのだそうです。
そのころ、この本の文章を担当した由井りょう子さんとの出会いがありました。由井さんは、米澤さんの話を聞き「本にまとめましょう」という提案をします。米澤さんは、本のために追加取材を受けることを決めました。
この本は、これまで米澤さんの「語り」を聞いたことのある人にとっては、「やっと本になった」という待ちに待った本、はじめて接する人にとっては「こんなすさまじい体験を小学校5年生がしたのか」と驚きとともに知るヒロシマの現実、という本でしょう。
米澤さんは、被爆一世の語り部として、最年少です。
小学校4年生以上で習う漢字にはふりがなをふりました。
すべての方にとって、原爆被爆の実際を知るために、おすすめです。
米澤さんの被爆講話申し込み先
http://www.geocities.jp/hankaku1945/
内容説明
ぼくの経験した八月六日は、決してぼくだけの特別な経験ではなくて、多くの無名の市民が絵に描いたり、文章に書いたりしていることがわかりました。それがまた、ぼくの見た光景と変わらないのです。共通する悲しさや苦しさがたくさんあるのです。生き残ったぼくは、あの日、広島で体験したことを語り続けなければならない、そして、本にして残しておき、これから先も多くの人に読んでもらいたいと思ったのです。(「あとがき」より)
目次
学童疎開
家族で山の集落へ
八月六日
北へ
飲んだらあかん
生き地獄
救援列車
かみがぬけた
母の死
祖父の往診
妹の死
うわさ
いとこのこと
朝鮮人の友だち
生き残ったぼく
著者等紹介
米澤鐵志[ヨネザワテツシ]
1934年生まれ。41年広島市立神崎国民学校入学。同年12月太平洋戦争開始。45年8月広島にて爆心から750メートルで原子爆弾被爆。同年母親と妹が死亡。自分自身も頭髪が全部抜け、高熱が2週間続いたが奇跡的に回復。55年第1回原水爆禁止世界大会に構成詩で参加。第1回原水爆禁止平和音楽祭に合唱で参加。以降50年間、毎年原水爆禁止世界大会に参加。58年立命館大学入学。61年京都南病院に就職。69年~94年まで(財)高雄病院事務長。85年宇治平和の会設立に参加。75年頃から、小学校、大学、病院、各種集会などで被爆体験講話を行っている
由井りょう子[ユイリョウコ]
1947年生まれ。大学在学中から記者として、主に女性誌の仕事にかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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