ぼくは満員電車で原爆を浴びた―11歳の少年が生きぬいたヒロシマ

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ぼくは満員電車で原爆を浴びた―11歳の少年が生きぬいたヒロシマ

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  • サイズ B6判/ページ数 128p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784092271661
  • NDC分類 K916
  • Cコード C8095

出版社内容情報

伝えたい少年原爆体験記。11歳のヒロシマ

広島に原爆が落とされたのは、1945年8月6日でした。11歳の米澤鐡志さんは、爆心から750メートルの電車内で母親と一緒に被爆します。母親は9月に亡くなり、母乳を飲んでいた1歳の妹は10月に亡くなります。
この本は、米澤少年の目で見た、8月6日その日のことと、その後何が起こったか、という記録です。

ブラウスが突然発火して、体が焼け始める女性、皮膚が布地のように垂れ下がって、幽霊のように見えた人たち、防火水槽に飛び込んで亡くなっている赤ちゃんを抱いた女性、川を流れていくたくさんの死体。
11歳の少年が見た光景を、読者も知ることになります。

「どんなにつらい記憶でも、知らないよりは知ったほうがいいと私は思います。本書は読むのも苦しい内容ですが、きっと未来のための知恵を与えてくれるでしょう」(京都大学原子炉実験所 小出裕章さんによる「はじめに」より)。

原爆や核についてお子さんと考えるとき、最適の1冊です。

【編集担当からのおすすめ情報】
米澤さんは「語り部」として、被爆体験講話を全国各地で行っています。爆心地1キロ以内での体験の迫力に、米澤さんの「語り」を聞いた人たちは、誰かに伝えなくては、という思いにかられてしまうのだそうです。

これまでたくさんあった、本にまとめる誘いをすべて断ってこられましたが、
2011年3月の東日本大震災での福島原発の事故と、ふるさとを追われた福島の人々を見て、考えが変わり、広島を体験して生き残った自分の役割として、体験を本の形に残して、これからも多くの人に読んでもらいたい、と思ったのだそうです。

そのころ、この本の文章を担当した由井りょう子さんとの出会いがありました。由井さんは、米澤さんの話を聞き「本にまとめましょう」という提案をします。米澤さんは、本のために追加取材を受けることを決めました。

この本は、これまで米澤さんの「語り」を聞いたことのある人にとっては、「やっと本になった」という待ちに待った本、はじめて接する人にとっては「こんなすさまじい体験を小学校5年生がしたのか」と驚きとともに知るヒロシマの現実、という本でしょう。
米澤さんは、被爆一世の語り部として、最年少です。
小学校4年生以上で習う漢字にはふりがなをふりました。
すべての方にとって、原爆被爆の実際を知るために、おすすめです。

米澤さんの被爆講話申し込み先
http://www.geocities.jp/hankaku1945/

内容説明

ぼくの経験した八月六日は、決してぼくだけの特別な経験ではなくて、多くの無名の市民が絵に描いたり、文章に書いたりしていることがわかりました。それがまた、ぼくの見た光景と変わらないのです。共通する悲しさや苦しさがたくさんあるのです。生き残ったぼくは、あの日、広島で体験したことを語り続けなければならない、そして、本にして残しておき、これから先も多くの人に読んでもらいたいと思ったのです。(「あとがき」より)

目次

学童疎開
家族で山の集落へ
八月六日
北へ
飲んだらあかん
生き地獄
救援列車
かみがぬけた
母の死
祖父の往診
妹の死
うわさ
いとこのこと
朝鮮人の友だち
生き残ったぼく

著者等紹介

米澤鐵志[ヨネザワテツシ]
1934年生まれ。41年広島市立神崎国民学校入学。同年12月太平洋戦争開始。45年8月広島にて爆心から750メートルで原子爆弾被爆。同年母親と妹が死亡。自分自身も頭髪が全部抜け、高熱が2週間続いたが奇跡的に回復。55年第1回原水爆禁止世界大会に構成詩で参加。第1回原水爆禁止平和音楽祭に合唱で参加。以降50年間、毎年原水爆禁止世界大会に参加。58年立命館大学入学。61年京都南病院に就職。69年~94年まで(財)高雄病院事務長。85年宇治平和の会設立に参加。75年頃から、小学校、大学、病院、各種集会などで被爆体験講話を行っている

由井りょう子[ユイリョウコ]
1947年生まれ。大学在学中から記者として、主に女性誌の仕事にかかわる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

へくとぱすかる

71
夏になると原爆関係の本を手にとる。本が読んでくれと言っているかのようだ。爆心地近くを走る電車の中で被爆。原爆症に苦しみながら、奇跡的に生き延びて証言した原爆の惨状。戦争中、大人から(それも学校の先生!)子どもが理不尽な仕打ちにあったことも、よくぞ証言されたものだと思う。犠牲になるのはいつも弱い立場の者だということは強調したい。生命の尊重が守れるかは、21世紀の問題でもある。2018/07/01

かおりんご

46
児童書。読み友さんの感想から。2年生ぐらいから読めるよう、漢字にはルビがふってあり、難しい言葉は説明がされています。お話自体は短いのに、内容はかなりヘビー。紙一重のところで助かった語り部さんは、まさしく奇跡の人です。無差別に人を殺す戦争は許すべきものではないし、放射能の恐ろしさは伝えていかなければならないと思いました。2015/12/13

44
児童書。広島の原爆体験。残酷でつらい歴史ですが唯一の被爆国に生まれた我々は決して目を背けてはいけない事実です。当時のことを経験した世代が減る中、本書のように辛い過去を伝えようと細かく語ってくださる方がいることは大変貴重でありがたいことだと思います。2014/11/17

itica

36
児童書。11歳で広島の原爆に遭遇した少年。さながら地獄絵図のように重なり合う死体、焼けただれた人々。現実に頭がついて行かず、恐怖感も沸かなかったと言う。被爆した人の体験談には有無を言わさぬ説得力がある。本当に本当に恐ろしい原爆。なのに何故、私たちは学んで来なかったのだろう。福島の原発事故は何故起こってしまったのだろう。そして今なお、事故が相次いでいる。もう二度とあのような悲劇を繰り返してはならないと強く思う。 2013/09/21

わむう

34
広島原爆投下の日に、市内を走る爆心から750m離れた満員電車に乗っていた11歳の著書(語り部)の体験記。その距離で被爆をして生き残った人はわずか10名以下。衣服は裂け皮膚は垂れ下がり、この世の者とは思われぬ人たちが無言で歩いている地獄絵図、被爆により自分の家族を失ったことの苦しみ、 たくさんの死を見過ぎて死というものが特別なことではないという麻痺が生む諦念、被爆の後遺症があらわれ、もう死にたいと包丁を握るほどの苦しみをなぜ子どもが味わなければいけないのか。 2021/08/22

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