出版社内容情報
あの世紀の大ベストセラー『大往生』はかくして生まれた。
刊行から25年。当時の担当編集者が語る交流の日々。
永六輔(1933-2016)。作詞家、放送作家、ラジオパーソナリティ、タレントと多彩な顔を持つ永氏だが、1994年刊行の『大往生』(2018年12月現在、累計246万部)の大ヒットによって、いわゆる「教養新書」の市場を一変させた著者としても知られる。そのシリーズ全9冊を担当した編集者が、永六輔と、彼と過ごした日々を初めて語る。「旅」と「ラジオ」から生まれた、永六輔の「知恵の言葉」の源泉とは何か。
『大往生』刊行から25年。10年あまりその本作りに寄り添い、ともに全国の書店をめぐった元担当編集者からみた大ヒット書籍の現場と、そこからしか見えない永六輔の姿。いま「語りの達人」の素顔が浮かび上がる。
わたしが思うに、永さんは「伝える人」でした。自分が深く納得し、世に伝えたいと思うことをしっかり伝える、これこそが一貫した姿勢だったと思います。「伝える」のであって、「教える」ではありません。(中略)しかも彼の場合、自分ひとりの思いを伝えるというものではないことが重要でした。ご自身が明言しているように、父母、家族、ご近所、仲間、そして全国各地の市井の人々から聞き取ったものが多く含まれます。みんな永さんに伝えようとし、彼はそれをしっかり受けとめて、さらに広く伝える。そしてあの人、「伝える」言葉を「伝わる」かたちにする名人でした。わかりやすく、しかも笑いをまぶして。
<本文より抜粋>
●目次
まえがき
I ベストセラー誕生とその後~強烈な個性と向かい合う日々
1「これは僕の生き方講座です」 『大往生』の本づくり
2「ラジオの力だと思いたい」 世を驚かせたミリオンセラー
3「腰は重い。動き出したら止まらない」 なぜ続編に手間取ったか
II 知恵の言葉を編む~紙上バラエティのつくられ方
1「僕はこれを一番書きたかった」 ボルテージの高さが勝負
2「元気な言葉が詰まっています」 読者の期待に応えるために
3「名刺の裏書でも全責任を取る」 永さんの素顔をめぐって
III 六輔ワールド第二幕~新しいステージへ発展
1「自分でつくって自分で売れ」 全国各地でサイン会
2「淡谷のり子さんはいい女でした」 人間関係の三部作となる
IV 「旅暮らし」と「ラジオ」の人 ~永さんのメッセージをたどる
1「電波の届く先に行く」 血の通ったネットワークを体感して
2「戦災地全部へ行きなさい」 床屋談義の達人
結「ブレない発信の人」 『伝言』その後
あとがき
内容説明
あの、世紀のベストセラー『大往生』はかくして生まれた。刊行から二五年。当時の担当編集者が語る交流の日々。いま「語りの達人」の素顔が浮かび上がる。
目次
1 ベストセラー誕生とその後―強烈な個性と向かい合う日々(「これは僕の生き方講座です」『大往生』の本づくり;「ラジオの力だと思いたい」世を驚かせたミリオンセラー ほか)
2 「知恵の言葉」を編む―紙上バラエティのつくられ方(「僕はこれを一番書きたかった」ボルテージの高さが勝負;「元気な言葉が詰まっています」読者の期待に応えるために ほか)
3 六輔ワールド第二幕―新しいステージへ発展(「自分でつくって自分で売れ」全国各地でサイン会;「淡谷のり子さんはいい女でした」人間関係の三部作となる)
4 「旅暮らし」と「ラジオ」の人―永六輔さんのメッセージをたどる(「電波の届く先に行く」血の通ったネットワークを体感して;「戦災地全部へ行きなさい」床屋談義の達人)
結 「ブレない発信の人」『伝言』その後
著者等紹介
井上一夫[イノウエカズオ]
1948年、福井県に生まれ、新潟県、富山県で育つ。1973年、岩波書店入社。日本思想大系編集部、文科系単行本編集部、日本近代思想大系編集部、新書編集部をへて、1999年、営業部に異動。2003年から同社取締役(営業担当)となり、2013年退任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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- 和書
- 大村郷村記 〈第4巻〉