内容説明
その恋は突然の事情聴取から始まった。なぞの女、ジゼルとぼく。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
175
「失われた時」への回想と悔恨の物語。18歳だった「ぼく」は、1人の女と出会う。最初は彼女の名前すらわからない。その周縁にいる人物も謎めいた人たちばかりだ。それから30年が過ぎた今、まさにこの物語が書かれている。回想は時に重層的であり、15歳のぼく、あの時から10年後の再訪のシーンなどが紛れ込む。ジゼルと過ごした、ほんの数日の間に訪れたパリのあちこちの場所が鮮やかに回想され、ぼくの深い後悔とともに語られるが、その間の空白期に、ぼくはどこにいたのだろう。その空白こそが最も小説的な空間であるのかもしれない。2014/11/21
南雲吾朗
57
十代後半、危険とerosに強く惹かれる年代。根拠の無い自信、必要以上に張る虚勢、脆さ。経験の少なさから読みが甘くなり痛い目に合う。後悔しても取り返しのつかない、掛け替えのないモノの喪失。「もし時間を遡ってあの部屋に戻ることができたなら、僕は電球を交換したいと思う。いや、明るい光のもとでは、すべては消え去ってしまうのかもしれない。」心に浸みる読後感だった。2019/09/24
ソングライン
17
父がスイスに去り、父の友人とパリで暮らす大学生の主人公が警察での取り調べを受けた際に知り合った女性と過ごした数日間の出来事。謎の女性ジゼルと引き受けるレストラン経営者からの殺人に関わる連絡係の仕事、ジゼルの夫はサーカス団の一員だが物語には登場せず、警察の監視を受ける二人のローマへの脱出計画、そして数日後に訪れる突然の悲劇、すべての痕跡が消え去った30年後のパリで振り返る青春の思い出、モディアノのあの過去への追想物語を堪能です。2023/03/31
kthyk
16
この小説はモディアムの十代の生活の地であったシテ島周りの六区が中心となり描かれる。彼はこの小説を「オートフィクション」と説明する。自伝(オートビオグラヒィー)でも小説(フィクション)でもなく、自らの人生をフィクション化しているということだ。自らの人生をフィクション化した作家なら、「夜明け前」「新生」を書いた島崎藤村。彼は新旧二つの世界とその狭間を生きる人々を描いていくことで、実なる時空間をフィクション化いていた。自意識過剰の個人的内面を描いた「私小説」とは大きく異なっている。ー>2020/12/14
弟子迷人
14
邦訳がこちらになります。2014/10/10