内容説明
ノルマンディ海岸バルベック、そこにはじめて赴いたときの語り手の幻滅と発見。「ゲルマントの方」の人物、ヴィルパリジ侯爵夫人やサン=ルー、シャルリュス男爵などが登場してくる。また、画家エルスチールのアトリエを訪ねた語り手は、普通に人が考えている現実とはまるで違った独創的な芸術家の表現する真実に惹かれる。そして画家の紹介で、「花咲く乙女たち」と知合いになり、そのなかのアルベルチーヌに心が傾いてゆく(第二篇第二部・続)。
著者等紹介
プルースト,マルセル[プルースト,マルセル][Proust,Marcel]
1871.7.10‐1922.11.18。フランスの作家。パリ近郊オートゥイユに生まれる。若い頃から社交界に出入りする一方で、文学を天職と見なして自分の書くべき主題を模索。いくつかの習作やラスキンの翻訳などを発表した後に、自伝的な小説という形で自分自身の探究を作品化する独自の方法に到達。その生涯のすべてを注ぎ込んだ大作『失われた時を求めて』により、20世紀の文学に世界的な規模で深い影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
118
第2篇は第1次世界大戦による中断を経て書かれ、1919年の出版時にはゴンクール賞を受賞している。この時期になってもフランスでは貴族階級、ブルジョワジー、プロレタリアートが厳然と区別された階級社会であったことに驚きを禁じ得ない。もちろん、本書はそうした社会の中で有閑ブルジョワジーに属する主人公の回想として語られるのだが、貴族との距離の親近性とは対照的にプロレタリアートは遠い位置にいる。もっとも、サン=ルー侯爵はプルードンに傾倒したりもしているのだが。そういう意味では、階級社会そのものの再編期だったのだろう。2013/12/06
ケイ
106
彼の描く少女はまさに花咲く乙女たちであり、可憐で美しく強がっていても弱い少女たちの生々しさはほとんど描かれない。例外はアルベルチーヌがゲームに夢中になっているときの髪がほつれ、紅潮している様子くらいではないだろうか。唯一女性として詳しく描かれているのはオデットであり、彼女に対する並々ならぬ思いを感じる。彼の男女の好みについて深追いするつもりはないが、ふと描かれる青年の美しさが際立ってみえるのが気になった。この巻では人生における真理についてプルーストなりに得た結論がいくつか述べられている。2015/10/14
s-kozy
80
引き続き、「土地の名・土地」の続き、語り手は様々な人々(ヴィルパリジ公爵夫人やサン=ルー、画家エルスチールなど)と出会いながら、社交界のことや人生の変転、芸術家の独創的な世界の捉え方なんかを学んでいく。作家として少しずつ成長しているようであるものの一方では恋情と肉体的欲望との区別もつかず、女性に近づこうとする。「花咲く乙女たち」の一人アルベルチーヌと親しくなり、上げ膳据えられたと勘違いし、勇み足で肘鉄を喰らう。まぁ、ここまでは青春の一コマと言えなくはないが、次の相手をまた「花咲く乙女たち」から探す(続く)2015/11/26
夜間飛行
66
バルベックでヴィルパリジ夫人の馬車に同乗した語り手は、路傍の美しい娘を欲しいと切に願う。そのとき彼が知ったのは、欲望を抱いた時から、たとえその欲望が叶えられなくても世界が美しく見えるという事実であり、やがて出会うアルベルチーヌやエルスチールの絵がそれを実証する。一方、サン・ルーとその父マルサント伯爵の間にある越えられぬ一線や、ブロックらユダヤ人グループが疎外されながら閉鎖的に凝り固まってしまう様子など、語り手を取り巻く社会の諸相が実は貴族対ブルジョワという単純な構図だけでは括れない事がさりげなく示される。2015/12/26
たーぼー
52
人々との出会いの中から自己感情の新たな芽生えを見る流れは教養文学をも思わせるが、個人的には技巧的な関心より各人のキャラに魅せられた。そしてこの巻はなんといっても『恋愛小説』。花咲く乙女たち登場。その花の名は何ぞや?彼女達を凝視する主人公の目が素直で困る。アルベルチーヌは自分の意見の正当性に長け、男から優しさの限りを尽くされる女。男はたちどころに『自分のこと気に入ってるかも?』と勘違いする。欲望逞しくも男らしさのない軟弱男の病的屁理屈恋愛妄想劇。これじゃ乙女にあしらわれるも無理はない。嗚呼、幻惑と幻滅の夏。2015/07/31
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