出版社内容情報
7編の連作短編を通して〈笑い〉と〈忘却〉というモチーフが繰り返しバリエーションを奏でながら展開され、精緻なモザイクのように編み上げられる、変奏形式の小説。クンデラ文学の原点。
内容説明
党の粛清により、隣の男に貸した帽子を除いて、すべての写真から消滅した男。一枚の写真も持たずに亡命したため、薄れゆく記憶とともに、自分の過去が消えてしまうのではないかと脅える女…。“笑い”と“忘却”というモチーフが、さまざまなエピソードを通して繰り返しバリエーションを奏でながら展開され、共鳴し合いながら、精緻なモザイクのように編み上げられる物語。
著者等紹介
クンデラ,ミラン[クンデラ,ミラン] [Kundera,Milan]
1929年チェコスロヴァキア生まれ。プラハ音楽芸術大学を卒業後、同大学で世界文学を講義する。67年第一長編『冗談』発表。68年の“プラハの春”の挫折後、大学の職を失い、全著作は国内発禁となる。75年フランス亡命。81年同国の市民権獲得。84年発表の『存在の耐えられない軽さ』、90年の『不滅』で世界的な注目を集めた。現在もフランス在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ヴェネツィア
334
本書に限らないがミラン・クンデラの小説群は「プラハの春」から一連のチェコ事件が大きな影を落としている。1967年のチェコスロバキア作家同盟の大会で、クンデラはパヴェル・コホウト等と共に党を激しく批判し、’70年には党籍を剥奪され職を追われた挙句に、フランスに亡命することになった。この小説は実に韜晦に満ちている。笑いも、セックスも、関係性も、それこそ限りなく「軽い」ようにも見えるし、その一方でまた哲学的な喩であるかのようでもある。小説作法もまた一筋縄ではいかない。私にとっては、きわめて難解な小説だった。2016/09/27
まふ
108
短編小説集の形をした「変奏曲形式の小説」という解説があった。テーマはタミナというプラハ出身の女性。だが、変奏の形および方法が今一つ理解できないままに作者の随筆的な興味の世界の遊びにつき合わされた気がする。ソヴィエトによる抑圧と蹂躙を基底としたやり場のない閉塞的状況の中で模索する人間像。所詮は「性」の世界へと進まざるを得なかったのだろうか。「ボヘミア」の民の諦観が底深く聞こえてくる。見かけは軽い笑いだが奥深い怨嗟の物語であろう。その場にいない人には分からない世界かもしれない。G1000。2024/02/02
優希
108
面白かったです。「笑い」と「忘却」をテーマに編まれた連作短編集。人は理解しあえるかと言えば、ほんの少しの表面的な相互理解にしかすぎず、たとえ理解できないことを後悔したとしても、やがては忘れていく。その忘却は繰り返されていくうちに擦り減りながらも、生命の終焉まで続いていくのでしょう。笑いは悲劇であり、忘却は喜劇として存在する世界。そのモチーフが変奏曲のように奏でられ、モザイク画を仕上げていくようでした。人々の演じる哲学を突き詰めた大人の恋愛小説と言えるでしょう。2016/08/13
ケイ
105
《笑い》と《忘却》 今の日本人にはなんてことない言葉だが、簡単には言えはしないのだろう。旧ソ連の抑圧の下で自国を捨てるしかなかった人にとっては。赤ん坊の無邪気な笑い以外に、かの体制の国では笑いとはこんなにも気まずいものであったのだろうか。男女の間のことにしてもそうだ。勿論不倫はよくないが、そこには純粋に精神的なものも含まれることもある。しかし、抑圧され 監視の目が行き届いた国では、不倫はむしろ性行為に直結し、滑稽で、滑稽なあまりに哲学的になってしまっている。滑稽で哀しく、不器用に笑って忘れさるしかない。2015/07/19
NAO
64
『笑いと忘却の書』は、第二次大戦後のプラハを舞台にした7つの作品からなる短編集だ。ひとつひとつの作品につながりはないが、作者自身、「変奏形式の作品」であることを強調しているという。一部と四部が「失われた手紙」、三部と六部が「天使たち」と同じ題からなる異なる話であるだけでなく、ある部分で他の作品との関わりが見えたりもする。「笑い」と「忘却」について何度も繰り返しかたられているが、ここで描き出される「笑い」は明るいものではもちろんなく、「あまりにもひどすぎて、もう笑うしかない」といった苦笑、絶望の笑いだ。⇒2022/07/23