内容説明
四人の少年は、二年の歳月を経てヨーロッパへ到着する。ラテン語を話す東洋の聡明な若者たちはスペイン、イタリア各地で歓待され、教皇グレゴリオ十三世との謁見を果たす。しかし、栄光と共に帰国した彼らを待ち受けていたのは、使節を派遣した権力者たちの死とキリシタンへの未曾有の迫害であった。巨大な歴史の波に翻弄されながら鮮烈に生きる少年たちを通して、日本のあるべき姿が見えてくる。第31回大佛次郎賞受賞。
目次
第5章 ローマの栄光(「インド公子」到来;踊るマンショ ほか)
第6章 運命の車輪(不吉な彗星;わたしが神である ほか)
第7章 迫害(右近追放の夜;ポルトガル人の奴隷狩り ほか)
第8章 落日(帰路の荒波;変わり果てた日本 ほか)
著者等紹介
若桑みどり[ワカクワミドリ]
1935年東京生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科専攻科修了。千葉大学名誉教授。1962‐64年イタリア政府給費留学生として、ローマに留学。80年『寓意と象徴の女性像』で第2回サントリー学芸賞、84年『薔薇のイコノロジー』で第35回芸術選奨文部大臣賞、2003年『クアトロ・ラガッツィ』で第31回大佛次郎賞を受賞。専門は西洋美術史。イタリア共和国より功労勲章カヴァリエーレを受章。2007年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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まーくん
105
本書の存在を知って数年。なかなか取り組めなかったが、ようやく一ヶ月近くかけ上下千ページ超を読み終えた。全体としては大河歴史小説のような構図なのだが、内容は立派な歴史書!天正少年使節を主題とし、従来の解釈に捉われず、その動きを東西の一次資料、特にヴァティカンの大学図書館やイエズス会古文書館などに眠っていた資料を渉猟し、16世紀に始まるヨーロッパ・キリスト教と戦国日本の出会いから弾圧に至るまで丹念に論ずる。イエズス会東インド管区巡察師ヴァリニャーノの発案で 1582(天正十)年、伊東マンショ、千々石ミゲル、⇒2023/07/17
修一朗
94
下巻の最初,5章までがローマ教皇との謁見を含めた栄光の日々。煌めく歴史はここまで。その後は歴史が示す通りのキリシタン弾圧の数々。4人の末路までを綿綿と記述しており読んでいてつらくなる。秀吉の伴天連追放令以降,大友氏/有馬氏/大村氏らキリシタン大名がどのように滅んでいったか,伴天連たちはどのように追放されていったのかが微に入り細を穿って書かれている。この本を書くために若桑先生はローマに住み込みヴァチカンの図書館やイエズス会の歴史図書館で原典にあたって書き起こした。執念の歴史書だ。感動した。2025/02/15
こばまり
60
歴史の波に翻弄された人々に思いを馳せ溜息。自身の読む行為に対しても気持ちが改まった。20代の頃ヴァチカンで若桑先生にお目に掛かった。非芸大生が声を掛けてくるとは珍しいと、翌日のフィレンツェ行にお伴する栄誉にあずかったのは今も大切な思い出だ。2020/05/10
たかしくん。
49
「4人の少年」がリスボンやローマで「当方からの3人の王」として、歓迎される場面から下巻は始まります。一方国内では、史上で稀にみる無神論者こと信長はじめ、その後の天下人の秀吉、家康らの思惑に翻弄されながら、結局はこの新興宗教は潰されにかかります。(これで、日本が当時の「近代世界システム」に飲み込まれなかったことも確かでしょう。) 更にこれがまた、キリスト教史上でもローマ帝国の受難以来の大迫害であったとは! 4人の変転極まりない半生と、そして悲しい結末…。改めて、著者の大変な労作にただただ頭が下がる思いです。2015/11/18
読書ニスタ
36
ザビエルなど日本を見た数多の宣教師の視点から信長の戦国時代を通じて当時の日本を知るにまとまった資料。著者曰く作家でないので、創作せず資料にあった事を書いたとある。布教に寛容だった信長、弾圧した秀吉、鎖国した家康と、キリスト教を毛嫌いした天皇家の意思が働いたのだろうか。日本は、忠誠心がなく、色欲、酒に溺れ、人をよく殺すが、礼儀正しく好奇心旺盛と、他民族よりも高度な文明と評されている。何故に子供を送り出したのか、彼らが何を感じたのか、今ひとつよくわからなかった。後世の岩倉具視使節団とは違う、学びより生贄か。2020/02/24
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