出版社内容情報
日本のマンガは、このアパートから生まれた。
手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫
……若き日の巨匠たちが集った聖地・トキワ荘。
日本のマンガ出版史を描き切る決定版評伝。
東京都豊島区椎名町にあった木造二階建てのアパート、トキワ荘。
1950年代、ここに住んだ手塚治虫の後を追うように、
藤子不二雄A、藤子・F・不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫らが居住したことで、
このアパートはマンガ史に残る「聖地」となった。
戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、
トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命、
そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。
膨大な資料をもとに、手塚治虫とトキワ荘グループの業績を再構築し、
日本マンガ史を解読する「群像評伝」!
彼らはみな東京以外で生まれ育った。
マンガ家になろうと東京に出てきたとき、どうして同じアパートに住んだのか。
まるで神の見えない手に導かれたかのようだ。
しかし、広い東京で偶然ということはありえない。誰かが、彼らを一箇所に集めたのである。
「マンガの神様」と称された手塚治虫なのか。どこかの雑誌の編集部なのか。
『手塚治虫とトキワ荘』は、この「誰か」を突き止めようということから出発した。
〈「青春と読書」2019年6月号より抜粋〉
●著者プロフィール
中川右介(なかがわ ゆうすけ)
作家、編集者。1960年東京都生まれ。
早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、2014年まで代表取締役編集長として雑誌「クラシックジャーナル」ほか、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手掛ける。一方で作家としても活躍。クラシック音楽はもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博している。
主な著書に『江戸川乱歩と横溝正史』『阿久悠と松本隆』『1968年』『サブカル勃興史』など。
内容説明
1950年代、「マンガの神様」手塚治虫が暮らした東京・豊島区のトキワ荘は、やがて若きマンガ家たちが集まる梁山泊となった。次々と創刊される少年少女向け雑誌を舞台に、締切に追われながら描きまくる後のレジェンドたちの青春の日々を、「少年倶楽部」から「漫画少年」を経て、週刊誌時代に至るマンガ出版史を背景に、膨大な資料を読み解いて再現する群像評伝。「伝説」はいま、「歴史」となった!
目次
一九四五年八月一五日
第1部 「少年倶楽部」―一九二一~四五年
第2部 赤本マンガと少年雑誌―一九四六~四九年(手塚治虫、プロデビュー―一九四六年;『新宝島』と「漫画少年」―一九四七年;相次ぐ新雑誌の創刊―一九四八年、四九年)
第3部 「漫画少年」―一九五〇~五五年(『ジャングル大帝』連載開始―一九五〇年;単行本から月刊誌へ―一九五一年;手塚治虫に続く者たち―一九五二年;上京する青年たち―一九五三年;新漫画党―一九五四年;「漫画少年」廃刊―一九五五年)
第4部 トキワ荘―一九五六~五八年(マンガの梁山泊―一九五六年;学年誌戦争―一九五七年;トキワ荘の悲劇―一九五八年)
第5部 週刊誌とテレビ―一九五九~六一年(「サンデー」「マガジン」創刊―一九五九年;拡散―一九六〇年;卒業―一九六一年)
終章 トキワ荘という伝説
著者等紹介
中川右介[ナカガワユウスケ]
1960年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、代表取締役編集長として雑誌『クラシックジャーナル』、音楽家や文学者の評伝や写真集の編集・出版を手がける(2014年まで)。その一方で作家としても活躍。クラシック音楽への造詣の深さはもとより、歌舞伎、映画、歌謡曲、漫画などにも精通。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる執筆スタイルで人気を博している。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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