内容説明
大坂城包囲網とは、関ヶ原の戦いの後に、豊臣家や西国大名を封じ込めるために、徳川家康が築いた城郭群のことである。姫路城、名古屋城、彦根城、伏見城、伊賀上野城、等々、日本が誇る数々の名城群は、関ヶ原以後も強大な経済力を温存し、朝廷という権威を後ろ盾にしていた豊臣家との正面衝突を恐れた家康による、十五年がかりの持久戦の軌跡でもあった。本書は、それらの城を実際に訪ね歩き、戦国期最後の「詰め将棋」を読み解いた画期的な論考である。
目次
伏見城
姫路城
今治城、甘崎城
下津井城
彦根城
丹波篠山城
名古屋城
伊勢亀山城
津城、伊賀上野城
著者等紹介
安部龍太郎[アベリュウタロウ]
1955年福岡県生まれ。歴史小説家。89年から一年間「週刊新潮」で「日本史 血の年表」(刊行時『血の日本史』に改題)を連載しデビュー。2005年『天馬、翔ける』で中山義秀賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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優希
89
関ヶ原の戦いで勝利したとはいえ、家康はそのままうまく天下人になれなかったようです。まだ豊臣には権威が残っており、それに備えた家康の動きが語られていました。大坂夏の陣に至るまでの15年間に渡り、その対決の間に備えた包囲網としての城。家康は豊臣に対するために様々な城を築いてきたということを知ることができました。豊臣の末裔が残っている状態では、天下はどちらに転ぶかわからないもの。そのためには大坂のみならず、広い範囲の築城の必要性があったことは興味深かったです。城を軸に家康の動きを見ているのが面白いところでした。2016/08/28
gonta19
42
2009/2/28 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。 2013/9/7〜9/11 関ヶ原後の家康の考えが非常に良くわかる。これまでここに書かれている視点で観たことは無かったが,ここに書かれた城の造りや廃城になった経緯などを見ると,非常に納得できる説である。よく言われるように,豊臣家を滅ぼしたのは徳川ではなく,淀殿だったのだなぁ。2013/09/11
ようはん
25
関ヶ原の戦い後、対豊臣を見据えた日本各地の築城についての話。関ヶ原から大坂の陣の期間、西国にはあまり親藩や譜代大名を配置出来てなかったのだが、その中で貴重な存在だったのは豊臣系寄りながら縁戚の池田家や親徳川であった藤堂高虎辺り。特に築城の名手である高虎の尽力は大きく彼の存在無ければ対豊臣戦略は展開は変わっていた。 2023/01/23
鐵太郎
8
関ヶ原の戦いは西暦1600年に行われました。この戦いの結果、家康率いる東軍が勝利を収め、天下の覇権は定まり、家康はじっくりと待って大阪の陣(1614-1615年)でついに豊臣家の残党を叩きのめし、天下統一を果たした、というのが普通の歴史観ですね。それは違うよ、と言うのが著者の論。家康の遠大な計画とはなんだったのか。それにしても、関ヶ原から大阪の陣に至る歴史の中で、仮に家康が暗殺されるとか戦没するとかした場合、どのような歴史になったでしょうか。戦国時代がもっと悲惨な形であと半世紀続いた可能性もある。ふむ。2009/05/04
Keystone
5
筆者の城愛あふれる一冊。色々と知らないことも多く、「へぇ~」の連続でした。2013/10/01