内容説明
今日、桜の名所として有名な吉野山だが、本来自然な山が、なぜ一面桜に覆われているのか?その理由を、吉野山が持つ意味から検証する。役小角が桜の木に刻んだと伝えられる蔵王権現。それを本尊とする金峯山寺蔵王堂は吉野山岳信仰の修験道の聖地である。他方、吉野山は、国政上の敗者が逃げ込んだ山でもあり、また天皇行幸の場、仏教修行の場としても重要な意味をもっていた。…いつ頃から、だれが、なんのために植えて、桜の山になったのか?お花見はいつ頃から始まったのか?『日本書紀』以来、桜とともに歩んできた日本の歴史、日本の文化の深層を探る。それらの分析を通じて、あわせて、日本の自然環境保護運動・環境NPOの原点を求める。
目次
1 吉野山はどうして一面の桜の山になったのか―古代から中世へ(吉野山の象徴世界;花をささげる行為;吉野山を桜の山に)
2 吉野山の桜を保全する力―近世から現代へ(観光名所・吉野山の登場;桜保全のNPO)
終章 人が自然に介入しつづけた意味―自然環境保全とは
著者等紹介
鳥越皓之[トリゴエヒロユキ]
1944年、沖縄生まれ。東京教育大学文学部史学科(民俗学)卒業、同大学大学院文学研究科(社会学)専攻修了。文学博士。関西学院大学教授を経て、筑波大学社会科学系教授。長年にわたり日本や世界の各地の庶民生活史や環境を研究してきた
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感想・レビュー
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うえ
5
「なぜ吉野に離宮がありつづけたのかという疑問にたいしては、現在のところ、歴史学では明確な解答がない…それでも歴史学の研究はいくつかの暫定的な解答をもっている…一番目の雨乞い祭祀説はもっとも支持されている意見のようである。吉野宮が存在していたと推定されている宮滝から金峰山を対象として祈雨の行事をし、五穀豊穣を願ったという説である。歴史家のなかでは、折口信夫の意見を受け入れた五来重氏などがはやくからその説をとなえている…二番目の鉱山説は…現在でも一定程度の支持者がいる…三番目の別荘説は…狩猟をしたりするため」2019/03/21
Junko Yamamoto
1
水と吉野の関係が明快であった。2023/04/26