出版社内容情報
清朝末期、半世紀にわたって権力を握り続けた西太后を、側近として見つめた女性による迫真の手記。
満洲人外交官の父親のもと、フランスで語学力を身につけた著者・徳齢は、1903年から1905年まで、通訳兼女官として晩年の西太后に仕えた。そこで目にしたのは豪華な食事と太后自ら演出した劇に時を費やす贅沢な日常だった。普段は離宮・頤和園で過ごし、正式な宮廷行事の時のみ、何十人もの女官や宦官を連れた大行列で紫禁城に赴いた。西太后はキリスト教を嫌い中国古来の風習を誇りにしながら、写真など西欧技術には関心をもち、ロシアから来た曲馬団にも大興奮。聡明な著者に心を許し、戊戌の変法の内幕や、自ら「生涯唯一の誤り」という義和団の乱の真相を語る。そして、後にアメリカで文筆家として大成する著者のジャーナリスティックな視線は、陰険な宦官たちや、不遇の皇帝・光緒帝の実像など、宮廷の人々にも向けられていく。
本書の原著Two years in the Forbiddencityは英語で執筆され、西太后が没して3年後の1911年、辛亥革命の年に上海で刊行されて、いまも版を重ねている。
[日本語版原本:『西太后に侍して』生活社1942年、研文社1997年]
目次
訳者序文
第一章 序の巻
第二章 宮中にて
第三章 宮中の芝居
第四章 西太后との午餐
第五章 西太后の覲見
第六章 西太后に侍して
第七章 宮廷の事ども
第八章 宮眷たち
第九章 光緒皇帝
第十章 皇后様
第十一章 私どもの服装
第十二章 西太后とコンガー夫人
第十三章 西太后の画像
第十四章 光緒皇帝の万寿節
第十五章 中秋節
第十六章 万寿山の離宮
第十七章 召見の間
第十八章 新年の行事
第十九章 海の離宮
第二十章 結びの巻
解 説 (加藤徹)
内容説明
清朝末期の最高権力者・西太后に仕えた女性の迫真の手記。百五十品もの豪華な食事と、自ら演出した芝居に時を費やす贅沢な日常。西洋文化を嫌いながらも、写真機やロシアから来た曲馬団に大興奮。著者に心を許し、戊戌政変や、自ら「生涯唯一の誤り」という義和団の乱の内幕を語る。陰険な宦官、不遇の皇帝・光緒帝の描写も生々しい。
目次
序の巻
宮中にて
宮中の芝居
西太后との午餐
西太后の覲見
西太后に侍して
宮廷の事ども
宮眷たち
光緒皇帝
皇后様
私どもの服装
西太后とコンガー夫人
西太后の画像
光緒皇帝の万寿節
中秋節
万寿山の離宮
召見の間
新年の行事
海の離宮
結びの巻
著者等紹介
徳齢[トクレイ]
1881年、中国・武昌生まれ。父・裕庚は駐日公使、駐仏公使を歴任。幼少から父の任地を転々とし、1903年パリから帰国後に西太后に女官兼通訳として仕える。1905年、父の死後に宮廷を辞し1911年に初の著作である本書Two Years in the Forbidden Cityを上海で出版。日中戦争中は米国で中国支援活動を行う。1944年、交通事故により死去
太田七郎[オオタシチロウ]
1906年、茨城県生まれ。早稲田大学英文科卒業後、冨山房を経て外務省に奉じ、北京駐在。中国劇を研究する。詩人で早稲田大学教授の日夏耿之介に師事。日夏は「博覧強記、小説劇作の東西に渉るものを好んで読み、最も英語に長じ、漢文も巧み」と評した。蔵書家で、ロンドン、オクスフォードの古書肆より購入したコレクションは早大教授たちも及ばなかったという。1943年に死去
田中克己[タナカカツミ]
1911年、大阪府生まれ。東京帝国大学東洋史学科卒。詩人、東洋史学者。保田与重郎らと『コギト』創刊。堀辰雄の推挙で詩誌『四季』同人。1941年、詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で北村透谷記念文学賞。1945年応召、河北省で終戦。戦後は東洋大学を経て、成城大学教授。1992年に死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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